『べらぼう』生田斗真の“怪物”姿に身震い 歌麿と松平定信にやってきたその“時”

国内各地で観測史上最高気温を更新する2025年の8月。天に命を奪われかねない令和の熱帯夜、NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』が我々視聴者の肝を冷やした。第30回のタイトルは「人まね歌麿」。描かれたのは、これまで「蔦重(横浜流星)からは離れない」と豪語してきた歌麿(染谷将太)の独り立ち。先週の爆笑回から一転、今週は観る者をゾッとさせる恐怖譚となった。

“人まね歌麿”の名で評判が高まっているのを知った蔦重は「こりゃ、時が来たか」と歌麿に“自分の絵”を描かせようと促す。蔦重が差し出したテーマは「枕絵」。表に出るものではないからこそ「心のままに、わがままに描ける」と諭した。だが、それは歌麿にとって創作の自由ではなく、過去のトラウマを抉る刃となった。
歌麿の眼前に現れたのは、亡き母(向里祐香)の幻影。「あたしを描いて名を上げようってのかい。殺しただけじゃ飽き足らず」と冷笑する声が耳元をかすめる。さらに母の情夫だったヤス(高木勝也)が、「ふーん、これが人殺しの絵か」と嘲る声を重ねてくるのだ。枕絵を描こうとするたびに、“歌麿”になる前の壮絶な過去が彼の心をかき乱す。「好きなように」描くとは、すなわち“自分”を掘り下げていく行為でもある。だが、そうすればするほど歌麿の心は黒い闇に引きずり込まれる。墨で真っ黒に塗りつぶされた絵は、そうした彼の心をそのまま写したかのようだった。

苦しみに打ちひしがれる歌麿を救ったのは、思いがけない人物との再会。それは、かつて地面をキャンバスにしてともに絵を描いて遊んだ鳥山石燕(片岡鶴太郎)だ。妖怪絵師として知られる石燕は歌麿を「三つ目」と呼んだ。それは額に切り傷とたんこぶをつけていた容姿からつけたあだ名だと思っていたが、そうではなかったのかもしれない。石燕は言う、「三つ目、なぜかように迷う? 見える奴が描かなきゃ、それは誰にも見えぬまま消えてしまうじゃろ。その目にしか見えぬものを現してやるのは、絵師に生まれついた者の務めじゃ」と。もしかしたら石燕は、歌麿が“現”と“妖”の両方を見通せる特別な眼を持つことを見抜いていたのかもしれない。

当初、蔦重が言った「時が来た」とは、歌麿の絵をヒットさせる商機を意味していたのだろう。だが歌麿にとっての「時」とは、己が「三つ目」であること=自分自身の過去を受け入れる「時」。すなわち、蔦重に生かしてもらっていた弟分から、一人前の絵師として生きていく覚悟を持つ「時」。

もちろん成長の節目には、切ない別れがつきものだ。蔦重の庇護を離れ、石燕のもとで絵師として精進する道を選んだ歌麿。彼のことを一番理解しているつもりだった蔦重も、その嬉しくも寂しい痛みを噛みしめながら石燕に頭を下げる。その姿に、かつて肩を組んでつるんでいた2人の姿とはまた違った形の信頼関係が育まれたことを感じた。





















