『べらぼう』なぜ田沼意知は斬られたのか? 江戸城の刃傷事件が現代に問いかける“正義”

【史実解説】なぜ田沼意知は斬られたのか?

意知殺害で「英雄」となった政言

 史実においても、意知殺害の背後に政争の影があったとする説はある。長崎のオランダ商館長ティチングは『日本風俗図誌』で、意知の死を「改革を恐れた反田沼派の陰謀」と記しているのだ。

 意次失脚のために殺害された意知は、現代の目から見れば気の毒でしかない。しかし、当時の庶民はそうは受け取らなかった。意知の葬列には、悪口を浴びせ、石を投げる人々がいたという。

 一方、佐野政言は「世直し大明神」と呼ばれ、庶民の間で英雄視された。政言の菩提寺である徳本寺では縁者以外の参拝を禁じたが、参拝者は絶えず、花や賽銭が供えられた。粗末な墓に石塔を奉納する者まで現れたという。

 当時は米価の高騰や田沼政権の腐敗への不満が鬱積していた。刃傷事件のあとに米価が下がったことで、政言の人気はさらに高まることとなる。しかし、米価が下がったのは偶然で、意次の政策で大坂から買い入れた米が江戸に届いたためであった。

 ドラマでは蔦重が意知に進言した「幕府が米を売るのは政(まつりごと)」が現実となったのだ。 

時代が作り上げた「正義」によって斬られた意知

 田沼親子は庶民のためにまっとうな政治をおこなっていたが、「米を高値で売って私腹を肥やしている」という噂が独り歩きしていた。さらに意知は「親の七光りで出世し、吉原通いをする放蕩息子」と揶揄された。

 実際、意知が吉原通いをしていた記録はないが、若くして家督も継がずに若年寄となったことで、周囲の反感を招いただろう。足軽から異例の出世を遂げた田沼家への風当たりも強かった。意知の死は、彼らの鬱屈した感情のはけ口となったのかもしれない。 

 田沼親子を「悪」とする時代の空気の中では、意知を排除することが「正義」とされた。こうした時代の「空気」が、意知を死に追いやったともいえる。 

 政言の動機が何であれ、彼の行動は、「正義」による制裁として受け取られた。しかし、それは「暴力による政治批判」が正義であるかのように錯覚される危うさを孕んでいる。これは現代のネットでの誹謗中傷にも似た構図とはいえないだろうか。

斬った政言にも斬られた意知にも共感が生まれる『べらぼう』の着地点

 『べらぼう』を観て、政言に同情する視聴者も多いだろう。父の介護に心を砕き、不器用に生きる政言の姿は、現代の「生きづらさ」を抱える若者たちと重なる。追い詰められた末の凶行に、 どこか納得してしまう自分がいる。

 一方、田沼意知もまた、史実とは異なる部分がありながらも、その本質に迫る人物像として描かれる。政言を気にかけ、精一杯引き立てようとする誠実さ。平賀源内を救えなかったことへの悔い。愛した花魁を、部下の名を借りてでも救おうとする真っ直ぐさ。それらは、主人公・蔦重の心にも強く響いた。

 大河ドラマは虚構でありながら、史実の奥底に眠る本質を浮かび上がらせる力を持つ。理想を抱き、葛藤し、刃に倒れた意知の姿は、「正義とは何か」という問いを、今を生きるわたしたちにも投げかけてくる。もし今の時代に意知が生きていたら、わたしたちは見えない真実を見抜けるだろうか?

 田沼意知も佐野政言も、志を胸に抱きながら、時代の流れに呑み込まれていった。彼らは、時代の犠牲者であると同時に、時代を超えた真実を映し出す存在でもあるのだ。

■放送情報
大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
NHK総合にて、毎週日曜20:00〜放送/翌週土曜13:05〜再放送
NHK BSにて、毎週日曜18:00〜放送
NHK BSP4Kにて、毎週日曜12:15〜放送/毎週日曜18:00〜再放送
出演:横浜流星、小芝風花、渡辺謙、染谷将太、宮沢氷魚、片岡愛之助
語り:綾瀬はるか
脚本:森下佳子
音楽:ジョン・グラム
制作統括:藤並英樹
プロデューサー:石村将太、松田恭典
演出:大原拓、深川貴志
写真提供=NHK

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