エリザベス・オルセン×アリシア・ヴィキャンデル 『アセスメント』が問う“正解のない問題”
実際に幼い娘を育てているという、本作のフルール・フォーチュン監督は、そのロールプレイのなかに、自身の子育ての実感を投影しているのではないだろうか。正解は存在しないとはいえ、親になるということは、自分の人間性を既存の価値観や社会規範に合わせていかなければならない局面に何度も立たされることを意味するのだ。
フォーチュン監督はインタビューで、夫と自分が子どもを持つことに苦労したことをエリザベス・オルセンとアリシア・ヴィキャンデルに話し、3人で涙を流したと明かしている。そして、本作が描くことはすべての女性にとってのテーマであるとも語っている。仮に子どもを持ちたいという共通の願いがあったとしても、そのことへの思いや事情は千差万別であるはずだ。にもかかわらず、親の理想像は長年の間固定化されたままなのだ。(※)
そして監督は、出産する女性の身体をそれぞれ「私たちの身体」であると強調し、世界のさまざまな政府が、とくに母親の人権に及ぶところにまで踏み込んで規制している現実があると発言している。例えばこれは、人工妊娠中絶の規制や、出産方法の選択への制限など、政府による自分たちの生き方への介入が、いかに女性たちにとって暴力になり得るかを示唆しているといえよう。劇中では、査定官もまた、そういった暴力の犠牲者であったことが明かされ、主人公ミアとの精神的連帯が生まれるのである。
バーチャルな関係に希望を見出す夫を尻目に、政府が生き方を規定する「新世界」から、ミアが「旧世界」へと踏み出していくラストシーンは、自分たちを取り巻く規範を脱し、自分自身が悩んで考える環境への移行を示している。もちろん、そこには不安もあり、さまざまな失敗もあるのだろう。その実験に、一つの人格であるはずの子どもを付き合わせてしまうことの倫理的葛藤もあるはずだ。しかし、自分の寿命を大きく縮めるかもしれないリスクを引き受けることにした悲痛な決断は、自分の存在までをも管理される社会システムが、それを上回る残酷さを宿していることを暗示しているのではないか。
そもそも、終盤で明らかになる「新世界」の切迫した社会状況や、徹底した管理システムがなければ、多くの親に子どもを持つ資格があるはずであり、それを誰かが判定することなど、本来できるはずもない。終盤では、査定官もまた、悲劇的な過去とともに、システムの理不尽のなかで想像以上に大きな重圧を背負っていたことが明らかになる。
本作『アセスメント 愛を試す7日間』は、子育てに必要な資質とは何なのかという正解のない問題を考える作品であるとともに、大きな力によって人間性自体がすり潰されて、画一的な役割を求められがちな現状を、一作の映画として表現したものだといえよう。この構図を基に、観客は同種の問題における自分の考えを進めていけるだろうし、不安を宿しているのは自分だけではないということを知ることができるだろう。
参考
※ https://cineuropa.org/en/interview/472574/
■配信情報
『アセスメント 愛を試す7日間』
Prime Videoにて配信中
出演:アリシア・ヴィキャンデル、エリザベス・オルセン、ヒメーシュ・パテル
監督:フルール・フォーチュン
写真:Everett Collection/アフロ