混迷を生み出した『白雪姫』の“映画”としての真価は? 実写版独自のテーマを紐解く

 それよりも気になってしまうのは、ゼグラー演じる白雪姫の内面における変化だ。アニメ版では、絶望のなかでも楽しく歌を口ずさんだり、いつも朗らかに周囲の人々を和ませてしまう特異な性格が、劇中のキャラクターのみならず、多くのファンの心を癒してきた。『シュガー・ラッシュ:オンライン』(2018年)や、『LEGO ディズニープリンセス お城の冒険』(2023年)などの、プリンセス複数出演の場においても、「夢見る少女」であり「不思議ちゃん」としてカリカチュアライズされ、チャーミングに描かれている。

 しかし本作においては、その傾向がかなりの部分で抑えられ、実写版『アラジン』(2019年)のジャスミン同様に、リーダーシップを発揮して国を治めるプリンセスに変更されたところがある。相手の名前をしっかりと覚えられるという名残はあるものの、白雪姫のおっとりとしたキャラクターを好んできたファンとしては寂しいところもある。ジャズのスタンダードにもなった代表曲「いつか王子様が」が歌われないのも残念な点ではある。とはいえ、王子様を待つだけの夢見る少女を、いまの時代に理想のプリンセスとして扱うのも、さすがに無理があることは事実だろう。

 ディズニーは近年、『白雪姫』より始まる、ロイヤルファミリーなどに憧れるような素朴な保守性の伝統と、多様性を尊ぶリベラルな観念とが混在した状態にある。本作でも、王族を一部ポジティブに描きながら、魔女の女王(ガル・ガドット)の暴政も描かれ、さらに民衆による権力者への抵抗をも表現するという二面性が存在する。

 その意味で、いまのディズニー作品は、二つの価値観が混在するアメリカそのものの映し絵となっているといえるだろう。そんな現実そのものに対するような微妙なバランス調整のなかで、多様性の部分に強く反発し、強い言葉で攻撃するような層が存在するというのは、現在のアメリカ社会における政治的な状況が、そのまま表れていると見るべきだ。

 「いつか王子様が」、「私の願い/ワン・ソング」に相当すると考えられる曲が、「愛のある場所(“Good Things Grow”)」、「夢に見る ~Waiting On A Wish~」である。アニメ版の白雪姫が“愛してくれる人”……白馬の王子様を待っていたのに対し、本作では、多くのものを人々と分け合っていた父親のように、“公平な人、勇敢な人、誠実な人”として誇れる自分になって、多くの人を幸せにしたいという心情が歌われる。

 白雪姫の運命の相手ジョナサン(アンドリュー・ブルナップ)は、それを「夢見ごこちなプリンセス」だと揶揄している。「世界はアップルパイみたいに甘くない」と語る彼は、搾取されて身動きがとれない日常に嫌気がさし、そんな世の中ならと、仲間たちと盗みをはたらいて日々の糧にしているようだ。

 そんな、現実の暗い時代を暗示させた、彼の世の中への悲観とシニカルな姿勢を、白雪姫の純粋な思いが変化させていく。二人が接近していく様子をデュエットで表現する「二人ならきっと(“A Hand Meets a Hand”)」で、ジョナサンは彼女の影響によって世界の見方が変わったことを素直に歌いあげる。白雪姫によって“目覚め”を得た彼が、その白雪姫を目覚めさせる理由が、ここで描かれるのだ。本作ではキスによる目覚めが、一種の「Woke(継続される社会問題の存在に気づいた状態)」を想起させるものへと解釈し直されている。

 アニメーション版の『白雪姫』における王子は、寓話的な理想の象徴だった。その抽象性が、逆に普遍的な憧れとして機能し、夢見る少女のための神話としての強度を獲得したといえる。対して本作のジョナサンは、弱い面や不真面目さがある、完璧ではない人物として描かれる。そこには、パートナーに全てを望むのでなく、影響を与え合い助け合うことで、ともに成長し進んでていくことが“愛”のかたちであることが表現されている。

 マーク・ウェブ監督は、本作の製作において、自分の娘を頭に浮かべ、彼女にどんなメッセージを送りたいかを考え続けたのだという。その姿勢は、次の時代を担う子どもたちへのメッセージにも繋がるはずである。そして、人種や肌の色で分断されず、“心の美しさ”や、不正や不公平に声をあげる勇気が評価される、誰もが希望や思いやりを持てる世界を提示することが、彼の最終的な答えであったのだと考えられる。そういう意識で本作を鑑賞すれば、さまざまな描写の意味が繋がり、本作ならではの感動が得られるはずである。(※1)

 このような作品全体の解釈に加え、補足しておきたい点もある。製作中に、俳優ピーター・ディンクレイジが、彼曰く「ドワーフ(小人)」が、いまだに洞窟と結びつけられるイメージを繰り返すのは、ファンタジー世界における「ドワーフ」と「Dwarfism(小人症)」を混同させ、固定観念を強化するものだと指摘した問題があった。

 おそらくはそのような批判を回避するため、本作ではCGを使用して7人の小人を表現することで、ファンタジーの小人と現実の低身長の特徴とを分ける試みをおこなった。しかし一方で、「低身長の俳優の仕事を奪うな」という、当事者などからの批判が作品にぶつけられることにもなった。その批判をも事前に回避する意味もあり、低身長の特徴を持った俳優マーティン・クレバを、声優とモーションキャプチャーのモデルで起用したり、低身長の特徴を持つジョージ・アップルビーを盗賊団に配役するなど、雇用の面で配慮する施策をとった。

 しかし、それでも批判を受けているように、俳優たちの間で意見が割れている問題の間に本作が立たされ、どのような選択肢をとったとしても批判にさらされる点について、本作が厳しい局面に立たされたのも事実だ。そういった諸々の問題点について、実写版『白雪姫』は、一つひとつ、現在の社会の意識のなかで苦渋の選択を余儀なくされていたといえる。

 パレスチナ、ガザ地区へのイスラエル軍の攻撃が続く状況下において、出演者のガル・ガドットがイスラエル支持を表明していることについても、パレスチナの擁護派から批判を浴びている。このキャスティングについては、市民を巻き添えにした大規模攻撃が起こる前に決まっていたと考えられるが、甘んじて非難を浴びる必要はあるだろう。

 ゼグラーは、「FREE PALESTINE! (パレスチナに自由を)」を呼びかけ、ガドットと映画の外でも対立したり、アニメ版を「時代遅れ」と呼び、王子が「文字通り、プリンセスをストーキングしている」と発言。さらにドナルド・トランプに反対の立場をとることを表明したことで支持者の反感を買うなど、物議を醸す言動が問題になったことも事実だ。(※2)

 とはいえ、その言動の内容がマイノリティを差別するものでなく、差別を受ける側からの抵抗の目線がある限り、彼女が自由に発言することを止めることはできないはずだ。ディズニーが彼女の言論を縛るようにコントロールしなかったことは、映画外で評価できるポイントかもしれない。そして、映画へのボイコットや嫌がらせ、自分自身のキャリアについてのリスクを承知しながら、正しいと信じる発言を続ける彼女は、ある意味でディズニーの求める枠をも超えて、マーク・ウェブが理想としたような、本作の白雪姫の姿勢を体現している部分があるといえるのではないか。

 本作『白雪姫』は、1937年のアニメ版と比べれば、クオリティや技術の面で対等に勝負するのは難しいだろう。当時の魅力を表現する際にも、さまざまな問題が噴出し、対処に追われているように感じられる。その意味では、観客が内容そのものに集中し難いところがあると感じられる。しかし、これこそが、いまのアメリカの状況そのものであり、そこで人々が生きる困難さを表しているのだとすれば、それもまた興味深い部分だといえるのではないだろうか。そして、そんな不寛容さによって悲劇が起こる世界だからこそ、本作のようなメッセージが必要になるのではないのか。

 その上で、本作はアニメ版『白雪姫』が選ばなかったもの、描いていなかったもの、現在でなければ描けないテーマを目指していたのだと理解することができる。本作にはウォルト・ディズニーと同じ情熱はないが、マーク・ウェブの娘への思いや、社会へのメッセージを役柄だけに終わらせず、勇敢に声を発信し続けるゼグラーの情熱が存在するのである。そしてとくに、そのようなメッセージを受け取る子どもの観客が、本作の描く理想や世界観にポジティブな影響を受けてほしいと思うのである。

参照
※1. https://thewaltdisneycompany.com/snow-white-director-marc-webb/
※2. https://hollywoodreporter.jp/movies/95990/

■公開情報
『白雪姫』
全国公開中
出演:レイチェル・ゼグラー、ガル・ガドット
監督:マーク・ウェブ
音楽:パセク&ポール
プレミアム吹替版声優:吉柳咲良、河野純喜(JO1)、月城かなと、津田篤弘(ダイアン)、諏訪部順一
オリジナル・サウンドトラック:ウォルト・ディズニー・レコード
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
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