『おむすび』は朝ドラ史に何を残したのか 愚直過ぎるほどに描き続けた“人に優しく”の精神
本作はドラマだけれど、「人間、普通に生きていて、いつでもドラマみたいにスカッとは決まらない」というリアリティを大事にしていた。結の「無意識下の『冷たいおむすび』の記憶」が蘇ってくるにつれて、結の中の「人助け精神」が「米田家の呪い」と称する血筋による理由だけでなく、6歳のときの原体験が大きく関わっているのだと、わかってくる。さまざまに折り重なった理由から、管理栄養士が結の天職であることがじわじわと描かれていく。この「じわじわ」が『おむすび』の持ち味だ。
結がはじめて「冷たいおむすび」の記憶を口にしたのは、地域の「子ども防災訓練」の炊き出し隊長に任命され、準備を手伝ってくれる専門学校J班のメンバーたちの前でだった。何気ない会話の中でふと出てきた「うち、後悔しとうっちゃん」という言葉から、高校1年生のときに初めて感情を爆発させて以来、これまで結がずっと自分の中で記憶の糸をたぐり続け、何度も「冷たいおむすび」の記憶を反芻してきたことが察せられる。
『おむすび』はこうした、他者からは見えない「人の心の中の出来事」を描いてきた。震災で娘の真紀(大島美優)を喪った孝雄(緒形直人)と、親友を喪った歩の「心の復興」のエピソードにおいても、スローステップの前進をリアルに描き出した。真紀の存在を介して2人が少しずつ立ち直って、ときに揺り戻しもあったけれど、再び前を向いていった。
『おむすび』の描写は全体的に淡い。2つの大きな震災とコロナ禍が描かれているが、それらを「ドラマを盛り上げるため」「劇的にするため」に置いていない。もちろん大きな出来事なのだけれど、そこから立ち上がり生きていく、市井の人々の日常に力点が置かれた。こうした「淡さ」が、好みを大きく分けた。刺さる人には刺さったし、刺さらない人には「何が描きたいのかわからない」と映った。
結をはじめとする登場人物たちが、互いに小さな変化を起こしながら、やわらかく影響しあって物語を形作っている。過去に自分が何気なく投げた「思い」のボールが、いつの日か形を変えて戻ってきて、自分を助けることがある。そうした描写が重ねられた。
生前の真紀が言っていた言葉を歩が受け取り、ハギャレンに受け継がれた「ギャルの掟」。やがてそれが、長らく閉ざしていた結の心を解放させる。「他人の目は気にしない。自分が好きなことは貫け」ーーこれは、『おむすび』という物語全体を貫く幸福論でもある。
真紀に端を発した幸福論が、歩を介して、暗闇の中にいる孝雄に光を届ける。聖人が理容師の初任給で買った靴を孝雄に修理してほしいと、同じ「職人どうし」として頼んだことが孝雄を奮起させた。靴職人の腕を買われて東京から全国、海外でも働くようになった孝雄は、糸島に帰るか、神戸に留まるかで悩んでいる聖人に「俺ら職人は道具さえあったら、どこでも仕事できる」と背中を押す。
身寄りのない詩(大島美優)の未成年後見人になることを決めた歩は、児童相談所の職員に現実問題を突きつけられ、詩のことを大事に思うからこそ逡巡する。そこで再び結の口から語られ、歩の背中を押すのが「好きなことは貫け」という掟だった。
思いが巡り巡って、いろんな人を介してまた返ってくる。このドラマで終始描かれていたのは、こうした「温情のバタフライエフェクト」であり、ラストシーンの「温かいおむすび」に象徴される「善意の循環」であった。
その一方で、人助けの功罪も描いている。永吉(松平健)が聖人の学費を使い込んでまで小松原(大鶴義丹)にお金を貸したエピソードは決して美談として描いていない。歩と米田家が詩を引き取ることも、それが最善の策なのかどうかは誰にもわからない。でも、わからないなりに、今できることを精一杯やる。物事を善悪でジャッジしないのがこのドラマだ。
しかし確かに、ドラマとしてはツッコミどころもあった。特に「管理栄養士編」においては要素を詰め込みすぎた感があり、個々のエピソードや描写に「もうひと踏み込みほしかった」という点がいくつかあった。せっかく入念に取材したことが視聴者に十分に伝わっていないことも多々あった。
「つもり」と「実際の伝わり方」は違う。発信した側はそう描いた/言ったつもりでも、受け取る側に齟齬が生じることは往々にしてある。これは『おむすび』のみならず、朝ドラ、ひいては全ての映像作品にとっての課題といえるだろう。そして文筆業として筆者の我が身に返ってくる話でもある、と自戒を込める。さらにあらゆるメディアも、SNSでの個人発信もしかりだ。発信する側は常にこのことを心に留めておくべきだと思う。
悪意が蔓延し、世の中がどんどん暗い方向に向かっていく中、それでも『おむすび』の作り手は「温かいおむすび」のような思いが、少しでも観る人たちに広まっていけばと、祈ったのだろう。愚直すぎる朝ドラだった。「人に優しくしよう」「自分を大切にするのと同じように、他者も大切にしよう」という、当たり前でシンプルなことを、大上段に構えることなく、押しつけがましくなることなく、全編通してさりげなく描いていた。このメッセージが伝わる人には伝わった。
いろんな朝ドラがあっていい。朝ドラ視聴歴40年以上の筆者はそう思っているし、ことあるごとに書いている。次作『あんぱん』も、この殺伐とした世の中にあって、観る人たちに少しでも優しい気持ちが広がる作品であることを祈っている。
■配信情報
連続テレビ小説『おむすび』
NHK+、NHKオンデマンドにて配信中
出演:橋本環奈、佐野勇斗、仲里依紗、北村有起哉、麻生久美子ほか
語り:リリー・フランキー
主題歌:B'z「イルミネーション」
脚本:根本ノンジ
制作統括:宇佐川隆史、真鍋斎
プロデューサー:管原浩
写真提供=NHK