劇場版『ベルサイユのばら』が成し遂げたもの 原作との共通点、TVアニメ版との違いを解説
だが本作もまた、吉村愛監督らの個性が投影された作品である。エピソードの取捨選択がダイナミックとはいえ、原作の印象を蘇らせるような着地点を想定した試みもまた、尊重されるべきだといえるだろう。なかでも、表面的な展開だけを見るとそれほど重要なシーンだとは感じにくい、オスカルとジェローデルとのやり取りに目をつけたのは素晴らしい。
当該シーンにおいてオスカルは、ジェローデルに“まことの愛とは何か”ということについて問いかける。オスカルがここで述べるのは、“自分がジェローデルのもとに嫁いでしまうのであれば、アンドレは生きてはいけないほどに不幸せになってしまうこと……そうなってしまえば、自分もまた、この世で最も不幸せになってしまう”という心情だ。
ここでのオスカルは、自分を愛する相手の心を考えているというだけで、それが愛であるという確信はない。しかし、ジェローデルがその言葉に納得してしまうように、私たち観客、読者が気づいてしまうように、明らかにアンドレを愛していることを、ここで思いがけず吐露してしまっているのだ。ジェローデルがどんなにオスカルを愛そうと、オスカルはアンドレの方を明確に選んでいるからだ。
とはいえそれは、本作が意図的にリフレインさせていた、マリー・アントワネットの言う「イカルス(イカロス)」のような、閃光を放つ恋愛ではない。ともに生きてきたパートナーへの想いは、波のない湖面をボートでゆっくりと進むような、静謐で優しいものである。ちなみに原作の終盤では、激情家のマリー・アントワネットも、それと同じ愛を自分も持っていることに気づくのだが、本作はそこへの予感を、ルイ16世とマリーとの心の繋がりの場面を拾うことで暗示しているように思える。
もう一つ、本作で大きな印象を残すのは、哲学者ジャン=ジャック・ルソーの著書にして、18世紀当時の大ベストセラー『新(ヌーヴェル)エロイーズ』だ。この書籍をオスカルとアンドレが読んでいるという原作の場面を、なぜわざわざ本作では、限られた時間のなかに滑り込ませてあるのだろうか。
『新エロイーズ』は、身分違いの男女の愛が引き裂かれ、悲劇的な結果を迎えてしまうという内容だ。これを読むことでアンドレは絶望し、オスカルと無理心中をはかることになる。しかしオスカルの方は、『新エロイーズ』に涙するものの、その表情は爽やかで、どこかポジティブさすら感じさせている。
この場面でのオスカルは、アンドレとは対照的に、“身分違いの恋”を乗り越えられるような、新しい時代に踏み出す決心をし始めていたのではないか。この構図を踏まえると、オスカルが革命に身を投じ、「ラ・コンテス」の称号や役職を捨て去って、自由な心で革命の道を選び取ることを宣言する場面には、原作同様、大きな説得力が与えられているといえよう。つまり、オスカルにとってフランス革命は愛への道であり、歴史の一大イベントであるフランス革命を描いた『ベルばら』の物語は、まさに個人的な“愛の物語”だといえるのだ。そしてここに至って、オスカルとアンドレの愛は、イカルスがその身に感じたような、破滅的な熱を帯びる。
この、個人の感情と歴史のうねりを繋ぐダイナミズムこそ、原作と本作に共通するものであり、TVアニメ版がリアリズムと貧富の差の描写に注力することで、描き残した部分ではなかっただろうか。そして、短く整理された本作だからこそ、そのテーマがより明確に浮かび上がり、一本の映画作品として大きな感動を生むことに成功していると思えるのである。
一方で、本作は“愛”と同時に、オスカルを一人の人間として、より現代的な視点から描いてもいる。オスカルは近衛連隊から衛兵隊に所属先を変え、より男性としての役割を意識するようになってから、父の人形のように生きてきたことで、女性として生きる欲求を縛られてきた苦しみを克服し始める。そして、男性としての生き方を与えた父親に感謝すらするのである。原作、TVアニメ版では、劇中で描かれる絵画のモチーフとして表現されていた「軍神マルス」は、鎖を引きずって歩いてきたオスカルのイメージが、道を選び取った末に到達する精神的境地として現れる。
男性として、女性としても生きたオスカルは、大いなる苦しみの果てに、自分の意志で自分の道を選択することで、ジェンダーの規範を超えた場所に導かれ、自らが信じるもののため生きることができたのだ。この切り口もまた原作をシャープに簡略化して、さらに現代の社会に通じるものとしているように感じられる箇所だ。
本作には、リアリズムを追ったTVアニメシリーズのクライマックスよりもさらに、原作の熱いを思い起こさせる部分があるのは確かである。池田理代子は、かつて学生運動を経験し、『ベルばら』が大ヒットをなしとげるまで、貧しい生活を送りながら漫画を描き続けていたという。だからこそ、そこには若かりし作者が信じていた、社会に対する全身全霊の思いが投影されていたのだと感じられる。
山本鈴美香の『エースをねらえ!』などの作品が、凄まじい心理描写で、哲学的なまでに“人生の意味”に迫ろうとしたのと同様、現代では恥ずかしくなるくらいに、前のめりの純粋な気持ちを原稿に叩きつけ、気高く、志(こころざし)高く時代を生きることの重要性を、『ベルサイユのばら』は、うったえかけている。いま世界が求めているのは、まさにこの精神性なのではないか。長い間、冷笑や功利主義とともに冷えきっていた社会に、この愚直なまでに熱い精神を、アニメーションというかたちで蘇らせ、劇場に届けてくれた作り手たちに賛辞を送りたい。
■公開情報
『ベルサイユのばら』
全国公開中
キャスト:沢城みゆき(オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ役)、平野綾(マリー・アントワネット役)、豊永利行(アンドレ・グランディエ役)、加藤和樹(ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン役)、武内駿輔(アラン・ド・ソワソン役)、江口拓也(フローリアン・ド・ジェローデル役)、入野自由(ベルナール・シャトレ役)、落合福嗣(ルイ16世役)、銀河万丈(ジャルジェ将軍役)、田中真弓(マロン・グラッセ・モンブラン役)
ナレーション:黒木瞳
主題歌:絢香「Versailles -ベルサイユ-」
原作:池田理代子(集英社『マーガレット・コミックス』刊)
監督:吉村愛
脚本:金春智子
キャラクターデザイン:岡真里子
音楽プロデューサー:澤野弘之
音楽:澤野弘之、KOHTA YAMAMOTO
アニメーション制作:MAPPA
配給:TOHO NEXT、エイベックス・ピクチャーズ
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ
製作:劇場アニメベルサイユのばら製作委員会
©︎池田理代子プロダクション/ベルサイユのばら製作委員会
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