『オッペンハイマー』が公開された意義を再考する 過去作から紐解くノーランの作家性
アメリカが何を恐れていたかを明らかにする『オッペンハイマー』
『オッペンハイマー』はそのタイトル通り、原爆の父と言われる科学者オッペンハイマーを描く作品だ。ノーランはこれまでの作品群で、フィクションの範囲で物理学への興味を示してきたが、本作では現実の世界に多大な影響を与えた物理学者を描くことを決めた。オッペンハイマーは、物理学で世界を一変させた人物だ。ノーランが関心を抱くのは必然だろう。
本作の構成は、これまでのノーランの作品と同じく複数の時間軸を交錯させていく。赤狩りの嵐が吹き荒れる中、ソ連のスパイ容疑をかけられ聴聞を受けるオッペンハイマーと、そこに至るオッペンハイマーの過去のシーン、そしてモノクロで示される、オッペンハイマーを陥れようとするストローズの視点で語られる物語だ。
物語は2つの視点を通じて、アメリカが核兵器の開発へと邁進していき、オッペンハイマーがそれに巻き込まれていく様と、アメリカに蔓延する共産主義への恐怖が映し出される。核開発と共産主義への恐怖が連続性のあるものとして語られるのが、本作の特徴であり、原爆だけが主題ではない。
核開発を推進する前段階として、ナチスによる核開発がアメリカを焦らせる。なんとしてもナチスより先に核兵器を開発しなければとの思いで、アメリカ政府と軍はオッペンハイマーを招へいし、ロスアラモスに核兵器開発のための街を完成させ、マンハッタン計画が始まる。しかし、ヒトラーが死にドイツが降伏しても開発は止まらない。今度はソ連に先んじて核開発をしなくてはという議論が始まり、マンハッタン計画は続行される。ここにあるのは、アメリカ社会に蔓延していた異様な共産主義への恐怖だ。
日本の観客にとってのポイントは、ナチスやソ連に対する恐怖は描かれているが、日本軍への恐怖は描かれていないという点だろう。これは本作の構成がおかしいのではなく、当時のアメリカ政府はそういう態度だったのだろう。しかし、原爆は日本に落とされたのだ。この物語構造は、日本への原爆投下は正当化できるようなものではないということを明らかにしている。
当然、ここには見過ごされている恐怖がある。アメリカ政府は共産主義は恐れても、核兵器の破滅的威力を恐れていないのだ。その矛盾が日本人の観客にとってはバランスが悪いものに見えるわけだが、この映画はアメリカの観客にその矛盾を突き付ける力がある。時折、オッペンハイマーが原爆によって世界が滅ぶような幻想を見る。そのイメージは終末を思わせる。世界をまるごと破壊する力を今の人類は持ってしまっている。今最も恐怖すべきは、そのこと自体なのだ。だが、その矛盾を、トルーマン大統領も軍も赤狩りに精を出す連中も認識していない中、作中では開発者のオッペンハイマーだけが一身に感じている。
2024年に『オッペンハイマー』が公開された意義
2024年の国際社会を改めて見つめてみると、映画に描かれる人々と同様に、恐怖する優先順位がおかしくなっているように思えてならない。ロシアのプーチン大統領が、核兵器の使用基準を従来より引き下げたという報道もあった。イスラエルでは閣僚が核兵器の使用を「選択肢」としてほのめかす発言をしたことで非難を浴びた。核兵器が何よりも恐怖すべき恐ろしいものだというのは、日本人にとっては常識だが、これらのニュースや『オッペンハイマー』が示しているのは、世界では案外そうではないということなのだ。そういう他国の視点を知る上でも『オッペンハイマー』という映画は、日本人にとって重要な作品と言える。
日本被団協のノーベル平和賞受賞は、そういう国際情勢に対するカウンターとして賞賛されるべきものだが、世界は確実に「力でごり押しすれば道理が通る」という風潮が高まっている。現に、国際社会はロシアもイスラエルも止められないでいる。
核兵器は、人類に破滅的な力を与えてしまった。人間は今一度、何に恐怖をすべきか、考え直す必要がある。『オッペンハイマー』は世界にそのことを伝える重要な作品となったことだろう。これは過去の物語であるが、まだ終わっていない。核兵器の脅威は今も続いている。オッペンハイマーが幻視する破滅のイメージは、いつでも具現化してしまう状況にあることを忘れないためにも、一度は観ておくべき作品だろう。
■放送・配信情報
「『オッペンハイマー』放送記念!クリストファー・ノーラン監督特集」
WOWOWオンデマンド クリストファー・ノーラン特集
放送情報:https://www.wowow.co.jp/special/021798
〈ラインナップ〉
・『フォロウィング』
12月28日(土)8:45〜10:10放送
1999年/イギリス
・『メメント』
12月28日(土)10:10〜12:15放送
2000年/アメリカ
・『プレステージ(2006)』
12月28日(土)12:15〜14:30放送
2006年/アメリカ・イギリス
・『インセプション』
12月28日(土)14:30〜17:00放送
2010年/アメリカ
・『インターステラー』
12月28日(土)17:00〜20:00
2014年/アメリカ
・『ダンケルク(2017)』
12月28日(土)20:00〜22:00
2017年/イギリス・フランス・アメリカ・オランダ
・『オッペンハイマー』
12月28日(土)22:00〜25:15
2023年/アメリカ
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