“動”の仲野太賀ד静”の阿部サダヲが散らす火花 『十一人の賊軍』が映す2024年の真髄

『十一人の賊軍』仲野太賀×阿部サダヲの熱戦

 2024年はまだひと月以上あるのだから、この一年のエンターテインメント・シーンを総括するのは気が早いというもの。けれどもこの一年を振り返ったとき、シーンの中心的な存在として、間違いなく誰もが名前を挙げるであろう人物が何人かいる。そのうちのふたりが、仲野太賀と阿部サダヲだ。両者ともにクドカンこと宮藤官九郎が脚本を手がけるドラマで主演を務め、いまは『十一人の賊軍』で火花を散らしているところである。

 仲野と阿部が相見えた『十一人の賊軍』は、『仁義なき戦い』(1973年)シリーズの脚本家として知られる笠原和夫による幻のプロットを、白石和彌監督が現代の日本のスクリーンに鮮やかによみがえらせてみせた時代劇だ。戊辰戦争の陰で起きた、新潟・新発田藩の歴史的な裏切りに着想を得て、壮大なスケールの抗争劇が繰り広げられるものとなっている。

 仲野が演じるのは、新発田藩家老・溝口内匠を慕う鷲尾兵士郎。どんなときにも武士道精神を重んじる、まさにリーダーに適した人物だ。そんな彼は新発田藩の“十人の罪人”を率いて、迫りくる新政府軍の進撃を食い止めるよう命じられる。罪人たちは死罪を言い渡されているが、このミッションを果たせば無罪放免になるのだという。しかし、家老の溝口には、のちに官軍に寝返る思惑がある。そうなった際、鷲尾たちはどうなってしまうのか。この冷酷無情な男を演じているのが、阿部なのだ。あらすじからそれとなく予想できるが、最終的に溝口と鷲尾は対決をすることになる。“火花を散らしている”と冒頭に記したのはこういうわけだ。

 本作における仲野と阿部の演技は対照的だ。鷲尾はいつだって真っ直ぐで、いくら部下たちが罪人だとはいえ、仲間として互いに尊重し合い手を取り合う。いっぽう溝口は、表向きは誠実な人間のように思えるが、じつのところは頭の回転がおそろしく早く悪魔的な機転の利く、いわばサイコパスである。

 仲野の演技は情熱的で力強く、阿部の演技は冷静そのもので、溝口の本性があらわになるより前から何となくゾッとする。仲野が浮かべる表情には感情が乗っているのだが、阿部の薄笑いには感情が乗っていない。仲野の場合は鷲尾の喜怒哀楽の感情がそのまま情報として顔に表れているのだが、阿部の場合はそこから何かを読み取ることは難しい。溝口が置かれている状況にもっとも適した表情を、顔の微細な筋肉の操作によって阿部は作り出しているのだろう。おそろしい。

 仲野のパフォーマンスが力の入ったものであればあるほど、阿部の演技は相対的に冷たいものに映る。それは逆も然り。阿部のパフォーマンスが冷静沈着なものであればあるほど、仲野の熱のこもった演技は際立つ。つねにふたりは対になる演技に徹し、この物語を駆動させている。

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