『ダンダダン』第7話が放つ美しさと優しさ ギャグから悲劇まで、“緩急”が光る神回に
龍幸伸のマンガ『ダンダダン』は、オカルトにSF、ラブコメディに青春と、多岐に渡るマルチジャンル的な混淆で一躍話題となった作品だ、そして、龍が驚異的な画力を週刊連載で披露していることも、人気の大きな理由となっている。
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このハイレベルな絵をアニメ化することは、非常にハードルが高いと思われていた。一方で、あのスピード感とスケール感あふれるマンガの魅力を映像で表現できれば、相当に面白いものになるだろうという直感も多くの人が抱いていたに違いない。カメラアイを意識したコマと演出も多く、そういう意味では映像化に向いたマンガとも言えるのだが、絵の完成度が高すぎて半可な映像では見劣りしてしまうのだ。
そのハードルを越えるには、日本でもトップレベルのアニメスタジオでなければ成し遂げられないだろうと考えられていたが、そんなトップスタジオのひとつ、サイエンスSARUは見事に原作の密度に負けない映像を作り上げ、日本のみならず海外でも賞賛を集めている。
サイエンスSARUは、縦横無尽に形状を変化させるアニメーション描写、動きのカタルシスを追求する姿勢を貫きつづけた稀有なスタジオだ。日本アニメの特徴だけにとらわれない柔軟さを持ち、ユニークさとクールさを両立させた洗練された映像を作れることでも定評がある。実際、この原作の映像化を手掛けるのに、最もふさわしいスタジオだったと思われる。
マンガの面白さを詰め込んだ『ダンダダン』という原作に対し、サイエンスSARUは本作の映像に、どうアニメーションの面白さを詰め込んだのか。振り返ってみたい。
ギャグから悲劇まで取り込む『ダンダダン』の混淆した魅力
『ダンダダン』というマンガがどういう作品なのか、簡単におさらいしたい。本作の主人公、ギャルの綾瀬桃はふとしたきっかけで、オカルトマニアの同級生である高倉健ことオカルンとともに、超常現象に巻き込まれたことから超能力に覚醒。オカルンも、悪霊のターボババアの呪いを受け、人知を超えた力を手にするようになる。互いに助け合って窮地を脱したことで恋愛相手として意識しながら、オカルンの呪いを解くために、2人は協力して悪霊や異星人に立ち向かっていく。
快活なギャルのモモとオタクのオカルンの正反対の組み合わせが、恋愛的な意識をしあいつつ、幽霊からUFO、未確認生物などなど、様々なオカルト的事件に巻き込まれてゆく。SF要素あり、オカルト要素あり、さらにはギャグやラブコメ要素も詰め込んだ、ジャンル横断的な大胆さが本作の魅力を形作っている。
激しいアクションを展開したと思ったら、即座にギャグに落とし込む緩急ある展開で飽きさせない。それでいて、地縛霊にまつわる悲しい悲劇などにも目を向け、深い人間ドラマも展開する。心霊スポットというのは、得てして以前に何かの悲劇があった場所であることが多い。悪霊や地縛霊が生まれてしまう背景には、世の中の理不尽がある。ただ気味の悪い存在として描くのではなく、その背景にも目を向けることで、社会への洞察も含んだ分厚いドラマがあるのも、本作の大きな魅力である。
そして、何より龍幸伸という作家が、驚異的な画力でその何でもありのカオスな物語を描き出している。ダイナミックな構図に迫力あるデフォルメの立体感、望遠も広角の構図も巧みに使い分け、レンズに歪みも取り入れたカメラ的な演出力のセンスもいいし、使うタイミングも実に効果的だ。
ダイナミックさと丁寧さを兼ね備えた映像
さて、そんな多面的な魅力を持つ原作マンガを、サイエンスSARUはいかにしてアニメーション映像で表現しているだろうか。まず、目を引くのは色使いの見事さ。ノーマル時の色鮮やかさから、オカルトの力が発揮されるシーンになると、一変して赤や青のような色に変化していく。ターボババアの力が支配的な時は画面全体が赤に、異星人のセルポ星人のシーンでは青くなる。これはそれぞれのオカルト的存在の持つオーラの色が表現されている。これは、日常とは異なる超常現象に登場人物が巻き込まれていることを視覚的に表現しているわけだ。オーラに、それぞれに固有の色があることが、モモのセリフからも伺える。第3話でモモがオーラにはそれぞれ色があると説明しており、ビジュアルでそのセリフに説得力を与えている。そして、悪霊や異星人を退け、彼らの力が弱体化すると、ノーマル色に戻る。
色へのこだわりは、オープニング映像にも凝縮されている。各キャラクターを象徴する色あいで表現されたクローズアップのショットは、陰影のつけ方も非常に美しい。陰影に関しては、モモが両手を曇り空にかざしているショットは、従来のアニメの陰影の描き方とは異なり、線で分けずにグラデーションのある影が描かれていて、非常に凝ったショットになっている。
作画の動かし方や芝居のつけ方も大変に優れている。第1話で、モモがやさぐれて廊下を歩くシーンの足のデフォルメの利かせ方は、サイエンスSARUの特徴がよく出ている。前方に足を投げ出すように投げやりな歩き方に、ささくれだったモモの感情が溢れており、その感情を強調するかのような芝居のつけ方が絶妙だ。
また、上手いのはデフォルメばかりではない。モモがオカルンの雑誌を拾って、ホコリを払って手渡す芝居などは非常にリアルかつ丁寧に尺を割いて描いており、モモが気づかいのできるキャラクターだとよくわかる。
そして、原作の魅力であるダイナミックな構図から繰り出されるアクションも、アニメにおいても大きな見どころとなっている。第4話のターボババアと沢蟹の地縛霊との鬼ごっこは迫力満点。街中を横に広く、高低差も存分に活用した縦横無尽なアクション描写を疾走感とともに描いていて、原作の魅力を見事に映像で昇華させている。