“動”のカン・ドンウォンと“静”のパク・ジョンミン “韓国らしい”映画『戦と乱』の力強さ
そんなある日、ついに倭軍が朝鮮の軍の守りを破り、都に向かって進軍してくるという、国の一大事が訪れる。王(チャ・スンウォン)は自分の命を優先し、都を捨てて身を隠そうとするが、残された民は怒って王宮に火を放った。落ち延びながら王宮が燃えるのを遠く眺める王が、「どうしてなんだ……」と呆気に取られる場面からは、この王の暗愚さや自分勝手な性格が伝わってくる。
王のモデルとなっているのは、李朝14代宣祖(ソンジョ)だが、フィクションを交えてはいるものの、自国の歴史における権力者をここまで批判的に描くことができるという点は評価したい部分だ。本作では、身分制度の各階層に高潔な人物や堕落した精神の人物がいるということを描くことで、身分制度や生まれによる差別があってはならないものだとするテーマが用意されているが、こういった批判精神があるからこそ、作品のメッセージにも説得力が生まれ、熱が帯びるのである。
劇中に登場する、倭軍の架空の武士である小西隊先鋒隊長・吉川玄信(チョン・ソンイル)は、武功のために膨大な数の朝鮮人の鼻を削いできた冷酷な侵略者として描かれている悪役ではある。だが、そんな玄信を利用して自国の民と戦おうとする卑劣な王や、侵略者におべっかを使って身の安全を確保しようとする王朝の一部の官吏らと比べ、悪役としての筋が一本通っているという意味で、チョンヨンの好敵手足り得る存在だといえるだろう。
事実、この時代には確かに倭軍に協力していた官吏がいたことが知られている。義軍として命をかけて戦った兵士たちや、被害を受けた民衆からすると、このように保身のために自国を差し出すような人物たちは、むしろ侵略者そのものよりもさらに怒りをおぼえる対象だったのかもしれない。大日本帝国が朝鮮を植民地支配していた時代にも、これと同じように既存の支配層たちの一部が侵略側に協力することで地位を保っていた部分があり、東アジア諸国では、そのような人々を「親日派(チニルパ)」などとして批判の対象にしてきた経緯もある。
本作では倭軍が撤退した後、志を同じくする者たちが、そういった自国を切り売りするような権力との戦いを決意するところまでが描かれる。この流れは、朝鮮の一部が「大韓民国」として独立することになった時代以降の韓国の歴史をも想起させるところがある。それが、1960年のクーデターによる軍事独裁政権の支配だ。
本作の王による、民衆の命を軽視し弾圧すらするような専横は、反対派を虐殺した独裁政権時の状態に似通っているところがある。だから本作で民衆が立ち上がり自由を勝ち取ろうとする姿は、1987年の市民の運動による民主化への流れに繋がるところがあるといえるのではないか。“民主化を勝ち取った”という市民の自負こそが、作品外からパワーを与えているのである。
キム・サンマン監督の、美術監督としてのキャリアや、パク・チャヌクの反骨的な姿勢を活かしながら、史実にバランスよくフィクションを交えることで、本作『戦と乱』は、現代の韓国の観客にとって納得のいく内容に仕上げられた“韓国らしい”映画として完成されているといえよう。そして同時に、世界の市場でも共感を得られる物語として、「歴史」を新たに創造してみせたという意味においても、その“力強さ”を存分に発揮した一作だといえるのだ。
■配信情報
『戦と乱』
Netflixにて配信中
出演:カン・ドンウォン、パク・ジョンミン、チャ・スンウォン、キム・シンロク、チン・ソンギュ、チョン・ソンイル
監督:キム・サンマン
脚本:パク・チャヌク、シン・チョル
プロデューサー:パク・チャヌク