多くの観客を感動の渦に巻き込んだ『トイ・ストーリー3』の功績 作品の価値を再吟味

『トイ・ストーリー3』の価値を再吟味

 世界のアニメ業界のトップランナーである、「ピクサー・アニメーション・スタジオ」。その記念すべき長編第1作となり、世界初の劇場版フルCGアニメーションとして公開されたエポックな作品が、『トイ・ストーリー』(1995年)だ。新たな技術と考え抜かれた脚本は、当時の多くの観客を驚嘆させ、魅了させることとなった。この映画はスタジオを象徴する1作になるだけでなく、“ピクサーの魂”として、続編が制作され続けている。

 現在は4作目までが公開され、いままさに5作目が制作されている『トイ・ストーリー』シリーズだが、そのなかでも、とくに観客たちを感動の渦に巻き込み、いまでも話題にのぼることが多い人気作といえば、3作目『トイ・ストーリー3』である。ここでは、そんな本作を再度振り返り、いまの視点から作品の価値を吟味し直してみたいと思う。

 ピクサーの歴史は、CGアニメーションの成長の歴史でもある。かつてルーカスフィルムでCG映像を制作する一部門に過ぎなかった集団は、紆余曲折を経てウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオと並ぶ、世界最高のアニメーション・スタジオへとなっていく。それまでの間に、ピクサーは世界の最前線でCGアニメーションの進化を牽引していたのである。

 ピクサーが快進撃を始めてから、ディズニーに買収される2006年頃まで、ピクサーは業界の風雲児として名を馳せ、老舗のディズニーを人気で凌駕する存在となっていた。一作ごとに表現力は飛躍的に向上し、CG技術の進化を、優れた物語とともに観客に披露し続けていたのだ。本作『トイ・ストーリー3』が公開されたのは、その少し後、2010年にあたる。

 そもそも『トイ・ストーリー』第1作が、子どもの遊び相手となるおもちゃたちを主要な登場人物にしたのは、CGによる表現の特性上、無生物を扱う方が都合が良かったという理由もあるわけだが、この第3作あたりになると、CG技術を駆使した表現力はディテールが充実し、円熟といえる域へと突入したといえる。10年以上経ったいま鑑賞しても、もはや古さをほとんど感じさせないレベルで完成されているのである。

 テーマとして描かれるのは、おもちゃたちの引退、もしくはセカンドキャリアの問題だ。冒頭で、最高に充実したおもちゃたちの世界が映し出されるように、持ち主のアンディに遊ばれることで、彼に楽しみを与え創造性を育んできた、保安官の人形ウッディや、スペースレンジャーの人形、バズ・ライトイヤーら……。時は流れ、アンディが大学生となり家を出ていくことで、ついにおもちゃとしての人生の岐路に立たされることとなるのだ。

 一番のお気に入りであるウッディだけは、例外的に大学に連れていくことにしたアンディだったが、さすがに他のおもちゃまでを持っていくことはできない。バズはじめ、ジェシーやレックス、ポテトヘッド夫妻やハム、レックスなどお馴染みの面々は、屋根裏にしまい込まれてしまう。だが手違いによってゴミとして出されてしまうことで、おもちゃたちの心は傷つき、アンディの所有物であることをやめて、サニーサイド保育園で多くの子どもたちのためのおもちゃになる道を受け入れようとするのだった。

 これが非常につらいものに感じてしまうのは、おもちゃの境遇をどうしても人間の人生に重ねてしまうからだろう。定年を迎えたり、組織から解雇されたり、誰かから必要とされなくなることは、仕事や何らかの役割に没頭し生き甲斐を見出してきた者ほど気落ちするものだ。そう思えば、おもちゃたちの心の傷の深さがどれだけのものか、ひしひしと伝わってくる。だとすれば、新しい道を模索し、少しでも必要とされる場所に身を置こうとするのは、健全な対応だといえる。

 しかし保育園には、おもちゃにとっておそろしい罠が存在した。年上の「チョウチョ組」の児童ならば、おもちゃたちは節度を持った方法で遊んでもらえるのだが、おもちゃたちの対象年齢とは異なる「イモムシ組」の児童の相手をすると、乱雑に扱われてしまうのである。そして、どちらの組に属するかは、所内のおもちゃたちによる“利権構造”によって決められていたのである。

 割を食ってしまうおもちゃにとって、あたかも刑務所のような保育園ではあるが、それだけにおもちゃたちがそこから脱出しようと奮闘する展開は、『大脱走』(1963年)のような脱走劇を想起させ、ジャンル映画としての面白さが生まれている。そしてこのあたりが、本作のメインのスペクタクルをかたちづくっているのだ。

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