『ボーイ・ミーツ・ガール』はレオス・カラックスの心象風景そのもの 引用の連続を紐解く

『汚れた血』(1986年)、『ポンヌフの恋人』(1991年)などの伝説的な映画を撮り、「フランス映画界のロックスター」として、一部映画ファンから、いまも羨望の目で見られているレオス・カラックス監督。寡作としても知られているが、近年は『アネット』(2021年)、『IT'S NOT ME イッツ・ノット・ミー』(2024年)などを発表して、注目を集めた。
そんなレオス・カラックスが、22歳のときに挑んだ最初の劇場長編作品『ボーイ・ミーツ・ガール』(1983年)が、再上映されている。この作品は、“カラックスの映画上の分身”だったドニ・ラヴァンが、すでに“アレックス”という役名で主演し、後に『汚れた血』、『ポンヌフの恋人』とともに、「アレックス三部作」の1作目ともなった、モノクロ映画である。
本作は、『汚れた血』や『ポンヌフの恋人』同様、恋愛が主たるテーマにはなっているものの、この2作品が部分的に提供するような、恋愛描写としての盛り上がりを期待していると、肩透かしだと感じるかもしれない。ここでのカラックスの演出は、意外にも、その後の作品よりも硬質的で大人っぽい雰囲気を放っている。
しかし、なかなか魅力を捉えづらい内容になっているだけに、「結局、この映画何だったんだ!」と、頭を抱えながら映画館を後にする観客が、「アレックス三部作」のなかで最も多いのが、おそらくこの作品なのではないかとも想像する。ここでは、そんな『ボーイ・ミーツ・ガール』が描いたものが何だったのかを考察していきたい。
新世代の監督とともに、フランス映画界で「恐るべき子どもたち(アンファン・テリブル)」、「ゴダールの再来」などと呼ばれたカラックスだが、その呼称は、この作品がカンヌ国際映画祭でヤング大賞を受賞したことで、ささやかれはじめた。その高い評価というのは、後々カラックスの肩に重くのしかかることになるものの、この時点では、まさに時代の寵児になり始める僥倖に他ならなかったはずだ。
デビュー前、学校を中退して映画を観まくるという破滅的な生活を送っていた、シネフィル少年だったカラックス。内気な性格により孤独な日々を味わっていた彼は一方で、18歳にしてフランスの映画誌「カイエ・デュ・シネマ」に寄稿するなど、その頃から早熟な才気を発揮していた。そして、映画への情熱から撮った短編作品が賞を獲得したことで、22歳での異例の長編監督デビューへと繋がることになる。
本作の物語は非常にシンプルだ。無軌道に生きているアレックス(ドニ・ラヴァン)という青年が、女性に振られて街を彷徨い、不思議なパーティーで同じように男性に捨てられたミレーユ(ミレーユ・ペリエ)という女性に出会う。2人の人生が交錯し、そこで何かが生まれていくような予感を生むが、衝撃的な出来事によってそれは途絶し、映画は幕を下ろす。
短編にしかならないような展開の少ないプロットではあるが、これが長編のストーリーとして成立しているのは、まるで詩を語ってでもいるかのように、モノローグや抽象的なイメージ映像を駆使しながら進行していくスタイルであるからだ。さて、そんな本作は、いったい現実から遊離したような演出の数々で、何を描こうとしていたのだろうか。
まず、冒頭部分で子どもが呻いているような印象的なモノローグが、それを読み解くヒントとなる。「ゴダールの再来」と呼ばれたレオス・カラックスは、自身で公言するほどのジャン=リュック・ゴダール監督の信奉者である。フランスの革新的な映画運動「ヌーヴェル・ヴァーグ」の代表的存在の一人であるゴダールは、しばしばモノローグを使ってきた監督でもある。ここでカラックスは彼のスタイルを借りながら、子どもの声によって、“成熟されざる映画作家”として、映画作家として産声を上げたのだということを示して見せている。
アレックスが橋の上を彷徨いながら、ヘッドホンでデヴィッド・ボウイの「When I Live My Dream」を聴きながら、目を閉じて音楽だけを頼りに進んでいる姿が印象的だ。このボウイの曲は、まだ見ぬミレーユが、のちに同じ曲の鼻歌を口ずさむシーンに繋がるように、2人の運命の交錯を事前に予告する。それと同時に、この描写では、痛ましい出来事によって生きる希望を見失ったアレックスが、現実の事象に目や耳を塞ごうとしている姿勢を表現してもいるのだろう。彼が部屋の壁に描いたパリの街の地図が、彼だけの記憶による主観的なものだったように。
そういった姿は、まさにカラックスの生き方そのものだったのではないか。映画に耽溺し、映画の世界を真実だと思い、そこで孤独に自分の思索を重ねていくことで現実に対処してきた、一人の青年。この映画は、そんなカラックスの心象風景そのものなのである。ピンボールマシンを登場させるのも、そんな自己完結的な世界を補強しているといえる。こういったピンボールの象徴性というのは、村上春樹の小説『1973年のピンボール』とも通底しているところがある。
























