映画『ブルーピリオド』原作&アニメとの違いは? 実写だからこその“鮎川龍二”に

『ブルーピリオド』実写映画だからこその表現

 漫画の実写映画化に関しては、賛否も含めて論争が巻き起こることが多い。しかし漫画・TVアニメ・実写映画を比較した場合、どれも異なる魅力があり、単に良い、悪いだけではなく、その媒体の特徴や文化の違いが感じられる。そして『ブルーピリオド』は各媒体の特徴を見つけやすい脚色がなされた作品だ。今回は主に『ブルーピリオド』の原作漫画と実写映画を比較しながら、媒体ごとの違いについて考えていきたい。

 『ブルーピリオド』は2017年より連載されている山口つばさの漫画を基に、実写映画化した作品だ。2021年にTVアニメ化、2023年には舞台化も果たしている。成績優秀で周囲に合わせるように生きてきた、少し不良気味な矢口八虎が、美術の授業で出された課題をきっかけに絵を描く楽しさに目覚め、美大では最難関とされる東京藝術大学への進学を目指して奮闘する物語だ。

 まずは媒体ごとの表現の違いに着目しよう。映像面に着目すると、TVアニメ版のアプローチが興味深い。原作漫画・実写映画はキャンパスに表現された絵画が動くことはなく、絵に向き合う八虎を映し出すことで、その衝撃を表現している。一方、アニメはアニメーションという技法自体が、絵が動いてみえる表現であり、TVアニメ第1話において、キャンパスに描かれた天使が動きだすことによって、八虎が受けた衝撃を視覚的に追体験できるようなアプローチをしている。

 実写映画の映像面のアプローチでは、色使いとリアルの街並みを映し出すことによって、観客に共感を抱かせている。『ブルーピリオド』は、そのタイトルが示すように、青色が印象的な作品だ。夜明けを迎えた渋谷の青さの美しさへの気づきが八虎の人生を変えていく物語と、渋谷の街が夜明けの青に染まっていく映像がマッチする。さらに観客も夜遅くまで遊びや仕事を行った後の、夜明けが持つ独特な感覚を想起して八虎の思いを共有する。そして八虎が描こうとした景色と、観客が抱く夜明けの印象が絵画として表現され、両者の気持ちが一致していく。 

 アニメ、実写映画は漫画と異なり音の表現も可能だ。映画の監督を務める萩原健太郎は、過去に『サヨナラまでの30分』も監督している。こちらは音楽バンドをテーマにした作品であり、楽曲と映像が組み合わさった快感が印象深い。そして今作においても、ポイントごとに楽曲を挿入する演出がなされている。連載漫画や12話の尺があるTVアニメではじっくりと物語を紡ぐことができるが、実写映画は115分に物語をまとめなければならない。そこで音楽を使うことで時間経過をダイジェストで見せることで省略を行いながらも、疾走感を生み出していた。

 そして最大の違いとして「鮎川龍二」をどのように描くのか、というポイントがある。鮎川龍二は複雑な内面を抱えており、戸籍上は男性として生まれながらも、女性の服を着ている。呼び方1つをとっても、主に女性キャラクターから美しいルックスを褒め称える意味合いも込めて「ユカちゃん」と呼ばれ、アイドルような人気者の一面と、八虎などの男子から「龍二」と呼ばれ、男性性を強調される一面がある。

 漫画の場合、鮎川はまさに美少女と呼ぶに相応しいルックをしている。漫画は声などの音声表現がないため、キャラクターデザインだけで男性、女性を区別することになるが、元々キャラクターデザインがデフォルメ化されていることもあり、説明されなければ男性と認識することが難しいだろう。そのため第1話において「出たよ女装くん」というセリフで説明することで、複雑な内面を持つ人物だと読者が察する構成になっている。また性格も誰にでも屈託なく接するために、八虎に対して一言多くなってしまうという勝気なところが強調されている。TVアニメ版も漫画に準拠しており、花守ゆみりが低い声で演技しているが、男性と説明されなければ気がつかないだろう。

 一方、実写映画で鮎川龍二を演じるのは高橋文哉。原作・TVアニメとはキャラクター像が大きく異なっている。大きなキャンパスを背負って登場するシーンは同じだが、振り向いた姿と声から生物学的な男性であることが窺える。性格も原作と比較すると大人しくなっており、女性的な面が強調されていた。

 そして最も注目したいのは後半の海のシーンだ。八虎と鮎川が2人で海に行き、民宿でお互い裸になって自画像を描く。ここは『ブルーピリオド』の芸大入試編における最重要シーンであるが、原作と実写映画は大きな変化をつけてきた。

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