“子育て”するウルトラマンを描く『Ultraman: Rising』 日米合作の意義と特撮文化の出自
日本とアメリカのハイブリッドとして
アメリカと日本、という本作のケンジの移動だけでなく、スタッフや意匠などの側面における、本作の「日米合作」的な部分を、円谷作品の歴史とともに確認しておこう。本作は円谷プロがコミットしている作品であり、日本人のスタッフもたくさんいるが、アメリカのスタッフや監督たちを中心にして作られた映画である。
監督は、シャノン・ティンドルとジョン・アオシマ。2人は、日本を舞台にした『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』で、それぞれ原案・キャラクターデザイン、ストーリーアーティストなどを務めている。シャノンは、2017年の『絵文字の国のジーン』なども手掛け、日本的意匠の多い作品をアメリカでアニメーション映画化することに多く関わってきた人物である。アオシマは、日本生まれで8歳からアメリカで育った日系のアニメ作家であり、2017年から放送が開始されたディズニーの『ダックテイルズ』のディレクターを勤めている。
このような「日本とアメリカの協働」という側面に、ウルトラマンのそもそものあり方を思い起こさせられる。1966年に放送が始まった一番最初の『ウルトラマン』に、どうしても筆者は「アメリカの影」を感じてしまう。それまでの怪獣映画や『ウルトラQ』における「怪獣」には、日本の「土着性」の象徴という側面があった(『ゴジラ』は大戸島の神話と結びついていたし、『大怪獣バラン』の怪獣は東北の土着信仰の対象である)。それに対し、『ウルトラマン』では、ヒッピーのようなアメリカ文化の影響を受けた若者たちが登場し、明るく明朗な性格とデザインの科学特捜隊が主役になり、どろどろとした怨念を感じさせる怪獣映画や『ウルトラQ』との違いを大いに感じたものだ。
そして、「よその星」から来て日本人と「事故」を起こし殺してしまったので日本に留まるという側面と、「変身」して「正義」を行使する、という側面には、どうしても第二次世界大戦の敗戦とアメリカによる占領、価値観と文化のアメリカ化という背景を見てしまう。アメリカによる敗戦と占領の寓話のように『ウルトラマン』は感じられるのだ。
そのようなアメリカ化に対する土着的なものの抵抗の悲鳴が怪獣に託され、むしろアメリカ的な明るさや科学に対して期待を賭けようとする若い精神がウルトラマンに託されているのだろう。なにしろ、名前が英語なのである。『赤胴鈴之助』(1954年〜1959年)『快傑ハリマオ』(1960年〜1961年)のように日本語のヒーローだっていたのだから、英語の名前をつけ、名乗るという時点で、アメリカに対する好意的な姿勢は確実にあるだろう。そのウルトラマンの造型自体も、仏像、特に弥勒菩薩が参照されているとする説があるが、メタリックな形と赤と銀という色には、コカコーラのデザインのような、「アメリカ」感をどうしても感じる(国旗の赤と白の印象もあるだろう)。
そのような、戦後日本における、伝統的な日本と占領期以降のアメリカ文化のハイブリッドが、ウルトラマンだった。
国策プロパガンダ映画の中で培われた技術としての特撮
それは、実は暗い背景も持っていた。「特撮の父」である円谷英二がその特撮の技術を獲得したのは、そのアメリカを敵とする戦争の最中だったからだ。
元々飛行機や機械が好きで、自作すらしていた技術少年の円谷英二は、東京電機大学の前身となる学校を卒業後、カメラマンとして映画界に入る。その後、科学や技術の工夫により簡単には撮れない映像を生み出す「特殊撮影」の技術の第一人者となり、認められていく。時代は戦争に突入し、ヨーゼフ・ゲッベルスの指示で同盟国だったナチスドイツと大日本帝国が合作した『新しき土』(1936)などに参加し、国策映画・プロパガンダ映画に関与するようになっていく。
1914年12月8日、大日本帝国軍がアメリカの真珠湾を奇襲し、太平洋戦争が始まる。1942年、海軍省が企画し、山本嘉次郎が監督した『ハワイ・マレー沖海戦』で円谷は特撮を務める。今観ても驚くほどの大きさとクオリティでミニチュアで再現された真珠湾を、日本軍が爆撃し続けるシーンは圧巻である。兵器と、それによる破壊を延々と見せ、見せ場にする技法は、攻撃されるのが日本かアメリカかの差はあるが、戦後の『ゴジラ』などの怪獣映画の文法と完全に同じである。戦後日本の特撮文化は、戦争に起源があり、かつてはアメリカは敵と名指され、そのために国民の戦意高揚を行う国策映画に円谷英二は本格的に参加していたのだった。1944年には『加藤隼戦闘隊』『雷撃隊出動』『かくて神風は吹く』、1945年には『勝利の日まで』の特撮(特技監督)も担当している。中身を詳しく説明はしないが、タイトルだけで大体予想が付くだろう。
1948年、戦争が終わった後、日本を占領したGHQは、戦意高揚映画に加担したとして、円谷英二を公職追放した。
「特撮」には、そのような、国と国が総力を挙げて相手を殺戮し合う状況の中で、それを高揚させるための技術として発展したという出自があった。その「特撮」文化を担いながら、しかし、アメリカ的な価値観やヒーローを描き、肯定するという『ウルトラマン』が象徴する「切断線」は非常に大きなことだし、それを描くというのは、今思うよりも相当野心的で創造的なことだったのではないかと思われるのだ。
憎悪や殺戮ではなく、平和と和解と正義のために、それを使うこと。戦争の中で培われた技術であっても、相互理解や愛と平和を促進するために使うこと。そのような変換が、戦後の特撮文化の中にあり、そのひとつの分水嶺が『ウルトラマン』だったのではないか。
本作の、アメリカと日本のあり方、そして「戦い」から「調和」への主軸の移し方を見ていると、そのような戦後日本の特撮文化への批評性すらも感じられるのだ。敵同士であった、人間と怪獣との間にも、家族的な絆が形成できるという本作が現代に示そうとしているメッセージの含意は、案外深いのではないだろうか。
「戦うのではなく、調和を」のメッセージ
ウルトラマンは、日本やアメリカでのみならず、中国などでも多くの若者に観られ、そのヒーロー像が影響を与えている。特撮文化の出自には戦争があり、ウルトラマンというキャラクターにはアメリカのニュアンスがあったかもしれないが、そのような「戦い」「敵味方」の構図で捉えるのではなく、種族すら超えていても、私たちは「家族」になれるのかもしれない。
「戦う」ことで、敵のみならず、自身の心も破壊し、自身の家族をも破壊してしまうよりも、愛と思いやりによって互いにケアし合うことで、世界が平和にできるかもしれない。本作は、そのような希望を描いているように見える。それこそが「正義」であり、それを目指すものこそが「ヒーロー」なのだと、本作は、この戦争の危機が近づいているように感じられるような時代の中で、多くの人たちに伝えようとしている。
■配信情報
『Ultraman: Rising』
Netflix にて世界独占配信中
監督:シャノン・ティンドル
共同監督:ジョン・アオシマ
脚本:シャノン・ティンドル、マーク・ヘイムズ
プロデューサー:トム・ノット、リサ・プール
日本語吹替え版キャスト:山田裕貴、小日向文世、早見あかり、立木文彦、恒松あゆみ、桜井浩子、青柳尊哉ほか
オリジナルソング:Diplo、オリバー・ツリー、アリシア・クレティ
制作会社:円谷プロダクション、インダストリアル・ライト&マジック(ILM)
©円谷プロ