松村北斗が表現する“普通の青年”の凄さ “何も起きない”『夜明けのすべて』が提示したもの

松村北斗が表現する“普通の青年”の凄さ

 瀬尾まいこの同名小説を原作にして、PMS(月経前症候群)を抱える藤沢さん(上白石萌音)とパニック障害を抱える山添くん(松村北斗)の、決して劇的ではないささやかな日常を切り取った『夜明けのすべて』。終始おだやかな空気に包まれた本作のなかで、とても印象に残る、強く惹かれたシーンがある。

 それは映画が始まって30分も経たないぐらいの頃、山添くんが恋人の千尋(芋生悠)に付き添われて心療内科でカウンセリングを受けた帰りの駅のホームでのシーン。これは確か原作にはない描写だったはずだ。病院帰りであろうがなかろうが、“電車に乗る”という行為は多くの人にとってなんてことのない日常かもしれないが、パニック障害の山添くんにとってはそうではない。それは2015年に山添くんと同じようにパニック障害と診断された筆者は身をもって知っている。

『夜明けのすべて』

 劇中では心療内科のシーンから駅のホームに画面が切り替わり、山添くんと千尋の後ろ姿が映される。ここで何かを説明するわけでもなく、山添くんは人が少ないであろう後方の車両の乗り口へと向かう。しかし同じ乗り口に別の誰かが一人並ぼうとした途端、山添くんはすっとその場を離れてひとつ手前の、まだ誰も並んでいない乗り口に変える。ちょうどそこへ電車ーー画面越しにも割と空いていることが確認できるーーがやってきて、山添くんは目の前を流れていく車両の混み具合を目で追いながら、“電車に乗る”という行動に移すための気持ちを高めている。

 だがいざドアが開くと、一歩もそこからは動けない。たとえば一歩踏み出して止まってしまうとか、急に呼吸が荒くなってしまうとか、そういったわざとらしくわかりやすいアクションはここでは選ばれない。ただただそこに立ち尽くすだけ。山添くんの後ろで、千尋は心配そうに彼を見つめているが、周辺にいるそれ以外の人たちは山添くんのことを気にも留めない。むしろ、“誰にも見えない”。そのまま電車はドアが閉まり、走り去っていく。そこでようやく堰が切れたように山添くんの呼吸が荒くなり、後方のベンチに近付きうずくまるのである。

 パニック障害は人間の内側にある、目に見えない病だ。客観的に見てわかる視覚的な何かが表出するわけでもないし、MRIやレントゲンを用いたとしても、その病の姿を目視することはできない。よく“心の病気”だとふんわりした言葉で形容され、一般的に“心”という言葉で表現される“感情”とごちゃ混ぜにされて誤解されることがしばしばあるが、当事者でそう信じている人はほとんどいないだろう。原作のなかで発作に苦しむ山添くんが自身に言い聞かせているように、簡単にいうと脳が誤作動を起こす病であり、それを直接の原因として死に至ることはない。けれども誤作動によって、味わったことのない死への恐怖や不安に苛まれる。

『夜明けのすべて』

 そういった意味で、映画としてパニック障害を描くことは極めて難しい。劇中では処方されたSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)を給湯室に置き忘れたことに気付かず、山添くんが取り乱すシーンがあったが、あれは別にパニック障害の症状ではないし、どこか無気力な感じで生活しているという点も別に違う。何かのタイミングで、何もかも釈然としないぼんやりとした不安感が突如として増大して発作があらわれる。それ以外でパニック障害を表現するものはなく、要するに扱い方ひとつでこれは単なる人物設定にしかならないし、それに相応しいストーリーが与えられなければ設定倒れしかねないし、こういった“よくわからないもの”に対して無闇に過剰で一元的な描写を入れて誤魔化すというのが日本映画特有の悪癖でもある。

 しかし少なくともこの『夜明けのすべて』に関しては、原作を読んだ段階で設定倒れに終わることはないと確証があったし、三宅唱が撮る以上は下手な演出に逃げたりもしない。とはいえ観る前には強い発作のシーンがあったら、と懸念もしたが、それは要らぬ心配であった。もちろんパニック発作のトリガーとなるものは患者それぞれ異なっている。実際にそれを味わった者として感じていることは、パニック障害は“治す”ものではなく、上手に付き合って共生し、気が付いたら発作の頻度が減って、いつのまにか“治っている”ようなもの。だからこそ先述した駅のホームのように淡々とそれを描いてくれたことで、電車に乗れない悩みを抱えたパニック障害患者にとって“乗れない”は些細な日常のひとつであると示してくれたことに感謝しかない。

 同時に、そんな山添くんをどこまでも“普通”の青年として、なめらかに演じ抜いた松村北斗には最大限の賛辞を送りたい。“普通”とは得てして相対的なものである。たぶんここでは、パニック障害でなく“電車に乗る”ができる人が基準になるわけだが、山添くんは“電車に乗る”ができない以外は普通でありながら、彼が思う普通であろうと苦しみ、他の何かを諦めてもなお普通であろうとあがく。

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