松村北斗が表現する“普通の青年”の凄さ “何も起きない”『夜明けのすべて』が提示したもの

松村北斗が表現する“普通の青年”の凄さ

 ふと思い出したのは、2019年に放送されたドラマ『パーフェクト・ワールド』(カンテレ・フジテレビ系)。そこで松村は骨肉腫によって左足を切断した過去を持つ青年を演じていた。それでも彼は義足で健常者と同じような生活を送り自分自身の日常を見つけていき、好意を寄せた相手に障がいであることを理由にフラれてもめげずに向かっていく。

 他にも今作と同じく上白石と共演したNHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』では戦争によってジャズ文化に傾倒した日常が奪われる役であり、『映画 少年たち』ではヤングケアラーとしての苦悩の末に罪を犯し少年刑務所に収監され、『キリエのうた』では震災によって愛する人を失う。ファンタジーではあるが『すずめの戸締まり』でも椅子にされて四つ足のひとつが欠落してしまう役どころであった。

 こう見ると、何かを失ったり奪われたりする役がずいぶんと多い松村。共通しているのはそこを出発点にして、完全に取り返していけずとも彼自身の“普通”や“日常”を取り戻していく点であろう(『カムカムエヴリバディ』の場合は命を落とす役どころではあるが、変わらずジャズを愛し続けていた点でそういえる)。もっともそれは作劇上の必然ともいえるわけだが、演者がニュートラルであってはじめて作品の本質を伝えることを可能にするものである。“普通の青年”はその辺にもごろごろ転がっているけれど、映画俳優としての最低限のオーラを持って“表現”としてそれを体現することは容易ではない。先に挙げた役柄の延長線に、あらゆるものを削ぎ落とした山添くんがある。そう考えると、山添くんは松村以外ではあり得ない。

 今作において山添くんは、パニック障害で失った/奪われていたと思っていた日常が、藤沢さんや勤め先の栗田科学の同僚たちによって、ずっと近くにあったのにただ“見えなくなっていただけ”だと気付く。もちろんここには“治る”ことも“電車に乗る”ことも必要ではない。原因がどうだとかいう過去にも、社会がどうだとかいう中途半端なマクロ的な視点にも固執せずに、山添くん自身の現在というミクロ的視点に徹する。それは自ずと映画で描かれるよりも先へとつながり、身近な人たちとの関わり合いがペイ・イット・フォワード的に広がっていくことを期待させる。劇的ではない登場人物と、劇的なことが何も起きない映画だからこそ、見えてくることはたくさんあるのだ。

■公開情報
『夜明けのすべて』
全国公開中
出演:松村北斗、上白石萌音、渋川清彦、芋生悠、藤間爽子、久保田磨希、足立智充、りょう、光石研
原作:瀬尾まいこ『夜明けのすべて』(水鈴社/文春文庫刊)
監督:三宅唱
脚本:和田清人、三宅唱
音楽:Hi’Spec
製作:『夜明けのすべて』製作委員会
企画・制作:ホリプロ
制作プロダクション:ザフール
配給:バンダイナムコフィルムワークス=アスミック・エース
©瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会
公式サイト:yoakenosubete-movie.asmik-ace.co.jp
公式X(旧Twitter):@yoakenosubete
公式Instagram:@yoakenosubete_movie

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