門脇麦、『厨房のありす』でも難役を見事にこなす 永瀬廉との対話にみる“物語る視線”
『厨房のありす』(日本テレビ系)を観ていると、自分のテレビがなぜか早送りで再生されているような錯覚に陥ることがある。この感覚は、主人公・ありすを演じる門脇麦の演技によるものなのだが、映像を通じて現実にまで揺さぶりをかける演技力とは凄まじいものだ。
ありすは、自閉スペクトラム症(ASD)という特性から、強い光や大きな音に敏感で、物事は全て整然と並べなければ落ち着かない。そんな彼女を物語の中心に据える本作では、「ありすならでは」のセリフや演技がふんだんに盛り込まれている。
特に印象深いのは、冒頭で触れた、まるで映像を早送りしているのではないかと錯覚するほどのスピードで話される早口な台詞だ。しかも台詞の中身には化学の元素記号をちりばめた、理解し難い内容が並んでいる。素人目にも、その難易度の高さはすぐに理解できる。だからこそ、門脇がその役割を見事に演じきっていることに、視聴者は圧倒されてしまう。
その演技力に疑問を挟む余地はまったくないが、「こんな役も見事にこなすのか」と驚かされた。“門脇麦”といえば、影のある複雑なヒロインを体現するイメージが強かったからだ。『愛の渦』や『二重生活』といった挑戦的な作品から、最近の『あのこは貴族』や『浅草キッド』まで、門脇は深い内面の闇を抱えるキャラクターを演じ続けてきた。さらに、『ほつれる』では、門脇の繊細な表情をほぼ全てのシーンで捉え、罪悪感に苛まれるヒロインの姿を際立たせるほど、彼女の「胸中の闇を描く演技の繊細さ」は評価されている。
しかし、ありすはどうだろう。ASDによる独特のこだわりを持ちながらも、彼女は基本的に純粋で無垢な存在だ。そのどこか幼さが残る雰囲気は、門脇が演じるキャラクターとしては思わず意外性を感じさせるものがある。そんな中でも、やはり門脇の演技が生きていると感じるのはありすの“視線”だ。
例えば、料理を化学式で説明するシーンでは、ありすが肩を揺らしつつ、時折視線を動かし、印象的な瞬きを織り交ぜる様子が目に留まる。しかし、三ツ沢和紗(前田敦子)や心護(大森南朋)との対話の際、ありすは相手の目をしっかりと見つめ、耳を傾ける姿勢を見せているのだ。
特に記憶に残るのは、第2話の終盤で酒江倖生(永瀬廉)と自宅の“ルール”について語り合う場面だろう。ありすが倖生の目を直接見つめながら微笑むその視線の使い方は、ありすの中の「変化」を示しているとも言える。言葉にできないなら、目で伝える。このシーンを通じて、門脇麦がこれまでに磨き上げてきた演技の真髄に触れた気がした。