『アクアマン』シリーズが魅力的な映画となった理由 娯楽要素の裏にある重要なメッセージ

 本作では脇役ながら、コメディ俳優のランドール・パークが演じるシン博士が印象に残る。なぜ彼がここまで魅力的に見えるのかというと、俳優自身の演技はもちろん、そこに面白さを喚起させるシチュエーションが用意されているからだ。例えば、ブラックマンタ(ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世)が、自身の精神に入り込んだ何者かの意志と会話しているというサイコホラー的な場面があるが、それをシン博士が見ていることに気づいたマンタが自室の扉を閉めるというシチュエーションを作ることによって、そこにコメディ風の要素が加わっている。

 こういう工夫が、さまざまなシーンに用意されていることで、ありふれた展開でも観客をエンジョイさせることができる。さらには、キャラクターそれぞれの個性も際立ってくる。この積み重ねが、作品全体の質を向上させているのだ。そして、それらアイデアが豊富に生み出せるのが、ジェームズ・ワン監督の強みなのである。

 本作ではアクアマンと共闘することになるオーム(パトリック・ウィルソン)もまた、ギャグ要因としてのはたらきがめざましい。アクアマンとともに、強力な兄弟コンビで困難にぶつかっていくことになるが、この二人の関係が、マーベル作品における「ソーとロキ」との関係に似ていることを、本作の劇中で言及してしまうといった、タブー破りの趣向があるのも楽しい。

 地球の表面は、70パーセントが海で覆われていて、地表からその中を見通すことができない。それだけに海の世界にはまだまだ映像的なポテンシャルがある。本作のクリエイターは、その可能性のなかで、壮大かつミステリアスな驚きを、インスピレーション全開で表現している。そんな創造性が反映された、失われた巨大な文明や、『スター・ウォーズ』シリーズを想起させる、海のならず者の街、そして敵の秘密基地などを、アクアマンは巡っていく。その構成は、まさに「海の007」とでも呼びたくなるほどだ。

 映画の娯楽要素がかき集められた、バラエティに富んだ内容の裏には、テーマ性も用意されている。アクアマンは、いまや海底王国アトランティスの王として、異なる考え方の人々をまとめ上げる立場となっている。しかし、政治の部分で彼は思い悩むこととなる。人間に育て上げられたアクアマンは、地表に住む人間に友好的だが、国民の半分は人間に敵対的な思想を持っているという現実があるのだ。

 この構図は、イギリスの保守的な市民が移民の流入を防ぐための投票行動によって、国が欧州連合を離脱する結果になった構図に似ている。または、パレスチナとイスラエルの問題や、日本における移民への偏見、差別問題などにも当てはめることができる。アメリカでは、議事堂襲撃事件に至った事態に代表されるように、排他的な感情が刺激された国民と、融和を望む国民との分断が社会問題となっている。アクアマンは、そのような実際の社会問題が反映された厳しい問題に直面し、保守派からの突き上げに、王として対処しなければならないのだ。

 そんなアクアマンが、今回の戦いのなかで出会うのは、「真の王は架け橋となる」という格言だ。つまり、指導者は対立を煽ったり、分断を生み出そうとするのでなく、異なる者たちを公平に扱い、融和を進めることを考えるべきだというメッセージである。そして彼は、その言葉通り、海と地上との架け橋になることを選択しようとする。

 本作で繰り返し問題となるのが、地球温暖化危機だ。この地球規模の環境破壊には、もちろん地上も海も影響を受けざるを得ない。だからこそアクアマンは、それを地球に住む者全ての問題として、協力し合って解決することを望む。地球上では、さまざまな国が敵対し、争いを続けている。しかし、地球全体が危機的状況にあるときに、そのようないがみ合いをしている場合ではないと、アクアマンは警鐘を鳴らすのである。

 アクアマンのシリーズやキャストについて、今後は不透明だ。しかし、いずれにせよ本作が、「アクアマン」という題材のなかで、いま描くべきものを、一通り表現しきったことは確かだろう。今後、DCスタジオ作品のユニバースが、どのような展開を生み出すにせよ、『アクアマン』2作の単独シリーズは、魅力的な映画として、観客の心に残り続けるはずである。

■公開情報
『アクアマン/失われた王国』
全国公開中
監督:ジェームズ・ワン
出演:ジェイソン・モモア、パトリック・ウィルソン、アンバー・ハード、ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世、ニコール・キッドマン、ドルフ・ラングレン、ランドール・パーク
配給:ワーナー・ブラザース映画
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