『BLOODY ESCAPE』は“新宿育ちの少女”の物語でもある 私たちが“常識”から逃れるために
映画『BLOODY ESCAPE -地獄の逃走劇-』は、単なるアクション映画としてのインパクトではなく、「社会で生きる」というテーマについて、観る者に深く考えさせる。
本作のキャラクターたちはそれぞれ異なる形の「飢え」に苛まれている。私たちの内面に潜む欲求は、時に無意識のうちに社会によって抑圧され、消されていく。物語の幕が下りた時、観客は本能的に、自分自身が何に「飢え」ているのかを感じ取ることができる。
“人間としての尊厳”を考えさせられる脚本
舞台は遠い未来の東京。壁で分断されたこの街では、人体実験によって改造された主人公・キサラギが、不死身の吸血鬼集団「不滅騎士団」に追われている。彼は寡黙ながらも強靭な精神で、ディストピアでの血みどろのアクションに存在感を放つ。この心臓がいくつあっても足りない、「改造人間VS吸血鬼VSヤクザ」の過激すぎる“血で血を洗う争い”は、本作の大きな見どころだろう。
しかし、キサラギのこの命がけの逃走劇は、単なる逃亡ではない。彼の戦いは自身の存在意義をかけたバトルでもあり、『BLOODY ESCAPE -地獄の逃走劇-』の真髄も、単なるアクションに留まらない深いメッセージ性にある。
物語を際立たせているのは、壮絶な戦いの中でも、“人間としての尊厳”を考えさせる脚本だろう。特に、少女・ルナルゥと彼女が育った新宿クラスタのエピソードは、閉ざされたコミュニティでの生き方を考えさせられる。
本作で描かれる巨大都市・東京は、無数の「クラスタ」と名付けられた、独立したコミュニティの集合体として存在している。独自の文化や風習を持つそれぞれのクラスタには、適性を持つ人々が息づいている。ルナルゥが住む新宿クラスタは、ヤクザによって支配され、医療は外科も内科も最低限のことしか提供されていない。
ルナルゥは言う。「小説って、外ではいろんなジャンルがあると聞きました」と。ルナルゥはこの不条理な世界で、いつも外の世界への憧れを抱いていた。そして、改造人間キサラギとの不思議な出会いは、彼女の内に秘めた憧れに新たな色を加え、より深く、鮮やかなものへと変えていく。