『どうする家康』松本潤が“神の君”のまなざしに 石田三成との心苦しい決別
『どうする家康』(NHK総合)第40回「天下人家康」。泥沼と化した朝鮮出兵をほっぽり出して、秀吉(ムロツヨシ)がついに波乱の人生を閉じた。
秀吉亡き後、新たな政が始まり、家康(松本潤)は三成(中村七之助)と朝鮮出兵の後始末に追われる。三成は合議によって政をなすという夢の実現に胸を躍らせるが、毛利輝元(吹越満)や上杉景勝(津田寛治)から「人の心には裏と表があるものぞ」「徳川殿は狸と心得ておくがよい」と忠告される。加藤清正(淵上泰史)ら諸国大名たちから頼られ、次第に政治の中心を担うようになる家康に、三成は警戒心を強めていく。
盟友となれる兆しがあった家康と三成だが、2人は対立する。秀吉亡き後、朝鮮出兵から戻ってきた清正や黒田長政(阿部進之介)に、三成は「戦のしくじりの責めは不問といたしまするゆえ」と言った。「(秀吉は)これまで一度として間違ったことはございませぬ」と度々口にしてきた三成なりの労いだったのだろうが、激昂する長政や、その目に屈辱や無念さを滲ませながら憤怒する清正の姿を見れば、三成の言葉が失言であることは明らかだ。けれど三成は、秀吉の正室・寧々(和久井映見)に豊臣家中をまとめるためにも詫びを入れてみてはと提言されても、「私は間違ったことはしておりませぬ。間違っているのはやつらでございます」と譲らない。
毛利が言っていたように、三成は人心を読むことにはたけていない。清正らが自身に詰め寄った時、三成はその気迫に驚いたのか目を見開いてはいた。しかし彼らが立ち去った後、襟を正す三成の顔つきは、本来咎めを受けるはずの彼らがなぜ憤るのか、と苛立って見えた。寧々の提言にも、「腹を割って話してみては」という家康の提案にも、合点がいかない様子だった。
中村七之助の文字通りまっすぐなまなざしが、三成の強い忠義心とその純粋性を表している。そのため「自分は間違っていない」という主張を貫いているにもかかわらず、ただの意固地には見えないところが興味深い。寧々が憂いていたように、三成はあまりにもまっすぐすぎるのだ。
茶々(北川景子)から「あのお方(家康)は平気で嘘をつくぞ」と耳打ちされたこともあってか、三成は家康の動向に激しい憤りを覚えた。「人の心には裏と表がある」と毛利は言ったが、三成があらわにする感情に決して裏表はない。「置目を破ったのは徳川殿。道理が通りませぬ」と怒りに震える様、「豊臣家から政務を預かりたい」という家康の申し出に家康との対立を確信し、「天下簒奪の野心ありと見てようございますな」と憎しみを込めた目を向ける様、伏見城の一件で自ら身を引くも「納得はしておりませぬ。私は間違ったことはしておりませぬ」と信念を崩さぬ様、そのどれもが嘘偽りのない三成の本心だ。
近江佐和山へ隠居する三成のもとへ訪れたい、夜空を眺め、2人で星の話がしたいと申し出た家康を、三成は拒絶した。三成はこれまでにないほど冷たい口調でこう言った。
「もうお会いすることもございますまい」
三成の実直さもあいまって、2人の関係が修復されることはないことが伝わってくる。盟友となれる兆しがあった分だけ心苦しい決別となった。