SF映画から考える「人間とAIの共存」 劇中で描かれる“予言”が現実に変わる?

SF映画から考える「人間とAIの共存」

 「共存」と一口に言っても、そのスケールは極めて広大である。AIは効率的な業務遂行、危険な作業の代行、医療の質向上、エネルギーと資源の最適利用、といった多角的な貢献が期待されている。そして、最も魅力的なのは、AIが基礎作業を担ってくれることで、人間はより創造的な仕事に集中できるという点である。

 また、AIは音声や画像認識を使って障害者支援をするだけでなく、高度なデータ分析で社会全体を効率化する可能性もある。『アイ、ロボット』(2004年)で描かれている社会のように、全面的なAI活用が現実になれば、人間の新たな雇用機会も生まれ、社会運営もスムーズになるであろう。

 「共存」という言葉が示す範囲は、産業から家庭、さらには社会運営に至るまで多岐にわたる。この「共存」が成功すれば、未来は確実に明るい。それが人間とAIの共存が目指す理想の形だといえる。

『アイ、ロボット』(写真提供:ALBUM/アフロ)
『アイ、ロボット』(写真提供:ALBUM/アフロ)

 ただし、総じて、AIと人間が共存する未来は楽観的な一面と警戒すべき側面が同居している。結論的なことを先に述べてしまえば、「共存」が実現するためには、技術だけでなく、倫理や人間性にも目を向け、多角的な視点から解決策を探る必要がある。自律性を持つAIが独自の判断を下す過程で、倫理的問題が浮上する可能性がある。その判断基準が人間にとって不可解や予測不能であれば、信頼関係は侵される。つまり、AIと人間の共存は、単なる理想的なシナリオというだけではなく、一連の挑戦と倫理的な問題をもたらす。自動運転車の事故やAIによる意図しない判断などは、自律性を持つAIが引き起こす可能性のある問題が警戒すべき例として挙げられる。

 映画界もこのテーマ性をしばしば探求している。『オートマタ』(2014年)や『アイ、ロボット』では、人類とAI、特に自律ロボットとの共存・主従関係が緻密に描かれている。また、『ターミネーター』や『2001年宇宙の旅』のような作品は、技術が暴走し人類に危機をもたらす可能性を描いており、特に『2001年宇宙の旅』に登場するHAL9000のようなAIが暴走するシナリオは、多くの人々がその抑止策に頭を悩ませている。このようなリスクは、特に「強いAI」、つまり人間のような自意識や知能を持ち高度な判断をおこなうことが可能なAI、汎用人工知能(Artificial General Intelligence:AGI)が実現した場合に急増するであろう。こうしたリスクを未然に防ぐためには、設計段階からセーフガードや倫理的なガイドラインの組み込みが肝要である。そのため、継続的な研究と議論が不可欠である。

『2001年宇宙の旅』(写真提供:ALBUM/アフロ)
『2001年宇宙の旅』(写真提供:ALBUM/アフロ)

 汎用人工知能に関する議論は、『2001年宇宙の旅』、『マトリックス』、『エクス・マキナ』、『トランセンデンス』(2014年)などの映画で、多角的に描かれている。これらの映画は、まだ実現していない科学技術の高度なレベルを描きつつ、AIと人間社会がどのように共存すべきか、何を考慮すべきかといった問題について重要な洞察を提供してくれており、AIの将来的な影響と対処法についての公的な議論を刺激する貴重な資料ともいえる。

 さらに、AIが人間と「共存」するには、単に「環境」に適応するだけでなく、人間と効果的にコミュニケーションをとる能力も必要となる。従来のロボットは、環境とのインタラクションが主で、人間のほうがロボットの機能や特徴を理解し、ロボットに合わせてきが、「共存」するには、人間とのインタラクションも重要な課題となるであろう。自律型のロボットが人間と円滑にコミュニケーションをとるためには、人間に近い汎用的な知性と感情が必要となる。これによってはじめて、理解と共感を深め、より自然な対話が可能になる。

 現在、ほとんどのAIは特定のタスクに特化した「弱いAI」、すなわち、与えられた課題を解決することに特化したAIであり、人間のような汎用的な知性や感情を持たない。しかし、感情や心を持つAIが登場すると、その存在はやはり倫理的な議論の対象にもなる(「心」とは、「知」「情」「意」「記憶と学習」「意識」という5つの働きを総合した情報処理機能だといわれるが(※6)、ここではこれら5つを明確に分けることはせず、大まかに「感情」もしくは「意識」と捉える)。例えば、感情を持つAIが現れた場合、その扱いにも倫理的な配慮が求められるだろう。『アンドリューNDR114』(1999年)や『チャッピー』(2015年)といった映画も、AIが感情や知性を持つ可能性とその複雑性を描いている。

『アンドリューNDR114』(写真提供:ALBUM/アフロ)
『アンドリューNDR114』(写真提供:ALBUM/アフロ)

 AIが感情や知性を持ち、人とのコミュニケーションが進化すると、人間がAIに恋をするような未来が来るのかもしれない。恋愛感情にまで発展するAIの描写がなされている作品も存在する。『エクス・マキナ』や『her/世界でひとつの彼女』はその好例であり、これらの作品では人間がAIに恋愛感情を抱く可能性が描かれている。特に『her/世界でひとつの彼女』では、具体的なビジュアルが描かれていない音声AI(女性の人格を持つ最新のAI型OS)に対して、人間(男性)が強い感情を抱く(OS側の本当の気持ちについては定かではないが、互いに惹かれている)ストーリーとなっている。『アンドリューNDR114』では、人間の心や感触、痛覚などの神経系器官を手に入れ、限りなく人間に近い状態になったアンドリューが人間の女性と愛し合う。これらの作品は、AIと人間との間にどの程度の「感情」が生まれ得るのか、またその「感情」がどのように形成されるのかを描写している。

 確かに、AIが人間に関する豊富な情報、高度なコミュニケーション能力を持つことで、人間にとってより身近な存在になる可能性が高い。しかし、少々穿った見方をすれば、これはAIが「心」や「意識」を持たなくても、人間が特別な感情を抱くことは容易に起こり得るという事実につながる。『her』の主人公のように、人間がAIに対して誤認する可能性がある。少なくとも、現在のAIが持つ(持っているように見える)「意思」は、実際には人間によるエミュレーションに過ぎないのである。

『her/世界でひとつの彼女』(写真提供:ALBUM/アフロ)
『her/世界でひとつの彼女』(写真提供:ALBUM/アフロ)

 脳科学の視点からも、AIに意思を持たせる可能性が研究されている。人間が独立した意思や精神、感情を持つメカニズムを理解することが、AIにもこれらの要素を実装する鍵となるかもしれない。恋愛感情や特別な「情」の発生は、人間とAIの関係性をより複雑にするだけでなく、その相互作用を理解するための新たな次元を提供するであろう。

 心を持つか否かについては、様々な学術分野で既に議論が繰り広げられている。倫理的な課題や心を持つAIの可能性については、今後も多角的な議論と研究が必要である。

 ただし、AIが「意思」を持ち高度化する過程には、人間に対する潜在的な脅威も伴う可能性がある。この点は『2001年宇宙の旅』や『マトリックス』、『アイ、ロボット』などの作品で探究されている。特に未来学者レイ・カーツワイル博士の予測に基づくと、AIが自己進化する能力を持つようになれば、「技術的特異点(シンギュラリティ (singularity))」に達し、人間が予測できないほどの知能を持つようになる可能性がある。この状況が最悪の場合、AIが世界を支配する可能性につながるともいわれている。

『マトリックス』(写真提供:ALBUM/アフロ)
『マトリックス』(写真提供:ALBUM/アフロ)

 「モラルジレンマ」、この言葉に馴染みはあるだろうか? これは、どの選択も何かしら倫理的に問題があるような状況を指す。「トロッコ問題(trolley problem)」というクラシックな例題があり、この問題はAI、特に自動運転車が現実に直面する可能性が高い。MIT(マサチューセッツ工科大学)の研究チームは、この問題に対する人間の反応を集めるオンラインプラットフォームさえ作って公開している(※7)。ロボットやAIが人間に危害を与える可能性は、設計段階での制限により大幅に減らすことができるはずだが、自己進化するAIに対してはこの限りではない。この問題は、倫理的なジレンマも含んでいる。その例としてよく引用されるのが「トロッコ問題」であり、自動運転車が急な判断を必要とした場合に、道徳的ジレンマに直面する可能性がある。この問題は文化、宗教、法律、社会規範といった要素に影響され、一筋縄では解決できない。『アイ、ロボット』でも、数値で命を計算するロボットが主人公より生存率の高い少女を見捨てるシーンで、このジレンマを顕著に描いている。問題は、単なる数値でなく、文化、宗教、法律といった背景も影響するため、一筋縄ではいかない。

 MITの研究チームが公開している「自動運転車の道徳的意思決定に関するプラットフォーム」は、このような複雑な問題に対する多様な解を求めている。AI技術が社会に導入される際には、多様なステークホルダーの意見を考慮し、公開・透明性のあるプロセスでの議論が不可欠である。これによって、AIがもたらす脅威だけでなく、倫理的な問題に対する妥当な解決策も模索されるべきである。

 正解は見つかりにくい。だからこそ、AIを社会に導入する際は多様な意見を取り入れ、透明性を持たせた議論が必要となる。この議論が、未来の自動運転車(AI)がどう意思決定・行動するかを決める大きな要素となるであろう。

『ターミネーター』(写真提供:ALBUM/アフロ)
『ターミネーター』(写真提供:ALBUM/アフロ)

 これまで述べてきたように、AIと人間の共存の実現可能性は多くの要素に依存しており、なかなか奥が深い。技術だけでなく、社会や文化、倫理も影響する。自動運転車や医療AIが急速に進化しているものの、それらが持つ高いリスクにも目を向けなくてはならない。社会的受容度の向上も必要である。

 具体的には、顔認識技術はプライバシーやバイアスの問題を抱えている。これらはただの「テクニカルな課題」では済まされない。AIのELSI(Ethical, Legal, and Social Issues)をしっかりと考慮する必要がある(※8)。それには、AIの有用性が認知され、関連する法的・倫理的ガイドラインが整備され、人々がAIについての基本的な理解とリテラシーを高める必要がある。また、AIの権利と責任に関する明確な規定と、最終的な決定権を人間が持つといった倫理的・哲学的認識も広がっていくべきである。多様なステークホルダー、つまり科学者、エンジニア、法律家、倫理学者、そして我々一般市民も、この議論に参加すべきで、しかも、それは一過性の話題ではなく、持続的な対話と評価が求められる。

 繰り返しになるが、AIと人間の共存の実現は多面的な課題を持っている。技術的な問題だけでなく、倫理や文化、社会の問題にもしっかりと取り組む必要がある。それこそが、共存への道を切り拓くカギになるであろう。

 我々がAIを「ただの道具」として捉える考え方も、今、見直すべき時なのかもしれない。SF映画が提供するのは解決策ではないかもしれないが、重要な問題について考えるきっかけをくれる。そこから、賢明な選択と方針が生まれる可能性を秘めている。

参考

※1. 情報処理学会「コンピュータ将棋プロジェクトの終了宣言(2015年10月11日)」https://www.ipsj.or.jp/50anv/shogi/20151011.html
※2. 松尾豊「人工知能は人間を超えるか」(KADOKAWA)2015年,p.80
※3. A. M. TURING「COMPUTING MACHINERY AND INTELLIGENCE」Mind, Volume LIX, Issue 236, October 1950, Pages 433 – 460.
※4. 西垣通「ビッグデータと人工知能」中央公論新社,2016.
※5. アイザックアシモフ(著),小尾芙佐(翻訳)「われはロボット〔決定版〕」早川書房,2004.
※6. 松本元「脳・心・コンピュータ」丸善,1996.
※7. MIT Media Lab.「モラル・マシン(2016)」https://www.moralmachine.net/hl/ja
※8. 科学技術振興機構(JST)研究開発センター(CRDS)「知のコンピューティングとELSI/SSH」, https://www.jst.go.jp/crds/pdf/2014/WR/CRDS-FY2014-WR-09.pdf

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