『らんまん』万太郎と田邊に必要な“お互いへのリスペクト” 2人の“自己実現”の大きな違い

『らんまん』万太郎と田邊の自己実現の違い

 いまのこの社会で自己実現を果たすことのできている人はどれくらいいるのだろうか。自分らしく生き、持っている力を発揮し、それが社会貢献につながるーーこれが自己実現というものである。

 放送中の朝ドラ『らんまん』(NHK総合)では、主人公・槙野万太郎(神木隆之介)が幼い頃から夢見ていた植物学者の世界で認められ、さまざまな人たちを味方につけては前進しているところだ。これこそまさに自己実現だといえるだろう。その一方で、彼の才能に圧倒され続けている東京大学植物学教室の教授・田邊彰久(要潤)は、嫉妬のあまり自身の進むべき道を見誤ろうとしてきた。「自己実現」という四文字を2人の間に置いたとき、そこには大きな違いが見えてくる。

 万太郎はご存知の通り、高知の造り酒屋である「峰屋」に生まれた。いわゆる名家であり、彼は恵まれた環境の中で育てられたわけだ。しかし、それは経済面や人間関係に関してのこと。万太郎が物心ついた頃からやりたかったのは、酒造りではなく植物研究であった。もしも自分の本当の気持ちを押し殺したまま酒造りにその身を捧げていたならば、当然ながらいまの彼は存在しない。たとえ「峰屋」をさらに大きくすることができたとしても、彼が本心からそう望んでいないのならば、それは自己実現ではない。

 万太郎は天才と呼べる才能の持ち主だ。しかし、才能があるだけでは植物学者として世間にその名を知らしめることなんてできはしない。SNSなど無い時代である。彼は生来の天真爛漫さで周囲の人々を味方につけ、寝食を忘れて努力をした。その結果として植物学者として認められた(=自己実現)のである。

(左)槙野万太郎役・神木隆之介、(右)田邊彰久役・要潤

 田邊教授は万太郎と比べると、圧倒的に多くを持つ者だ。頭はいいものの学歴のない万太郎が東京大学植物学教室の門を叩いたとき、すでに彼は富も名声も手に入れていた。そして彼は驕ることなく、才能ある万太郎を迎え入れた。が、研究の場を手に入れた万太郎は、やがては田邊教授を追い抜いてしまった。彼の存在を軽んじ、疎ましがっていた人々さえも味方につけて。

 田邊教授だって他を圧する才能を持っていた。富も名声もあった。けれども自己実現には至っていない。自分らしく生きることも、持っている力を発揮することも、そしてそれらが社会貢献につながることもない。立場の問題もあるのだろう。まだ若い万太郎のように、思うがままに振る舞うことは許されていない。さまざまな現実を目にしてきたからこそ、つねに自分を律してきたはずである。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「国内ドラマシーン分析」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる