『呪術廻戦』「懐玉」で描かれた“最強”ではない五条悟 彼の“青のすみか”を考える

「君は五条悟だから最強なのか。最強だから五条悟なのか」

 そんな言葉を、『劇場版 呪術廻戦 0』で夏油傑は問いかけた。“最強キャラ”というのは、たびたびコミックス・アニメ界隈で登場するが、なかでも『呪術廻戦』の五条悟はかなり強い。ほぼチートキャラみたいな存在で、原作者の芥見下々も彼を生み出した背景に「わかりやすい天井が欲しくて」とファンブックにてコメントしている。つまり、彼は『呪術廻戦』という世界の中での“天井”なのだ。そんなの、“最強”という他ない。

 しかし、現在放送中のアニメ『呪術廻戦』「懐玉」で描かれる高専2年生の五条は“最強”ではない。第1期で描かれた術式反転「赫」もまともに打てなければ、7月20日放送の第27話では伏黒甚爾に“殺されてしまった”。首を天逆鉾で貫かれ、そこから一気に全身を切り裂かれたと思えば太ももの大動脈を何回も刺されて、しまいには頭部にぐさり。原作でも衝撃的ではあったが、動きとカラーのついたアニメーションでは甚爾の容赦なさと噴き出る血の赤が強調され、ショッキングさが増している。あの五条がここまで攻撃を受けたこと自体がショックなシーンだ。おそらく、甚爾は五条が初めて負けた存在なのかもしれない。

 そもそも、高専2年の五条と現代の五条は能力値以外でも違いすぎる。第1期や劇場版で私たちが見た彼は自分の生徒にとって“いざ”というときに頼もしく(普段はちょっと抜けていたり適当だったりすることが多いけれど)、面倒見も良い“先生”だ。一人称も「僕」である。しかし、高専時代は「俺」。面倒見がいいどころか、口調も雑で非術師(一般人)に対するモラルも規範も欠けている。大人になって生徒の成長を手助けし、呪術界の未来について憂い、変えようとしていくように“外”を気に掛ける五条は、学生時代、「俺が中心」な“内”的な考えの持ち主だったのだ。そんな彼の善悪の指針になっていたのが、他でもない夏油である。

 五条にとっての夏油は、それこそモラルや規範そのものだ。しかし、それ以上にたった一人の“親友”である。アニメ第27話でも少しだけ様子が描かれたが、御三家である五条家に生まれた彼は、物心ついた時から数百年ぶりに生まれた六眼と無下限術式の掛け合わせとして特別視されていた。夏油が「悟は人よりも目がいい」と言っていたが、六眼は実際に“術式や呪力が高解像度のサーモグラフィーのように見える”のだ(ファンブック参照)。建造物のような呪力のないものも、それ以外の呪力の残滓や流れなどで視認できる。第27話で紙袋を頭に被った呪詛師の術式を見破ったのも、劇場版で商店街にいた夏油の残穢を感知できたのも、六眼の能力だ。しかし逆を言ってしまえば、呪力のないものは“見えない”。そのため、術式も呪力も持たない天与呪縛“フィジカルギフテッド”な甚爾に背後を取られてしまった。その後の戦いで苦戦したのも、彼の動きが読めなかったせいである。甚爾は六眼対策のために自分の格納庫として使う呪霊の呪力を悟られないよう、下級ではあるが呪力を持つ蠅頭を放ってカモフラージュした。

 甚爾の年の功というべきか、瞬時にその場でフィジカルギフテッドであることを見抜いても対応ができなかった五条。しかし、彼はいつだって“限界”を味わうたびにそれを超える。だから、“最強”になった。何の因果の巡り合わせか、大人になった五条は自身の過去最大の敵であり、“最強”になるきっかけになった甚爾の息子、恵に “限界を超えること”を教え、領域展開にまで導いた(アニメ第23話参照)。虎杖悠仁や乙骨憂太といった問題児に手を差し伸べて死刑から救うなど、面倒見の良さは他にも散見されている。彼らのメンターになった理由に「強ければいいじゃん的なところがある」と原作者・芥見はコメントしているが、“自分も問題児だったけど強いし御三家だったから”上層部から身を守ることができた五条は、それができない一般家庭出身の彼らを自分が守ろう、という気持ちもあったのではないだろうか。

関連記事