軍事評論家 小泉悠が観た『GCHQ:英国サイバー諜報局』 日本が直面するシナリオに近い?
「日本が直面しそうなシナリオに、かなり近いものがある」
――ちなみに、このドラマの中で描かれていることの、具体的なモデルや事件みたいなものって、何かあるんでしょうか? たとえば、本作には「グラヴセット」というSNS上でプロパガンダ情報を流す組織が登場しますが……。
小泉:まず、「グラヴセット」というのはイギリス人の発音ですよね。ロシア語だと「グラヴセーチ」。「セーチ」はロシア語で「ネットワーク」なので、「ネットワーク通信総局」を縮めて「グラヴセーチ」と呼んでいるんだと思うんですけど、あれのモデルは恐らく「IRA(インターネット・リサーチ・エージェンシー)」ですよね。これは、今話題のプリゴジンがやっている偽情報会社で、ワグネルとほぼ同時期に設立されています。どうも2010年代の頭ごろに、プーチンから傭兵会社と偽情報会社を作れという指示があったようです。まさにこのIRAが、2016年のアメリカ大統領選に介入した本丸と言われていて……。
――あ、そうなんですか。
小泉:そうなんです。その頃、IRAの中にいた人たちを、世界中のジャーナリストたちが捕まえて、すでにいろいろとインタビューしているんですよ。だから、このドラマに登場する「グラヴセット」で働いていたマリーナというシングルマザーのキャラクターも、実は結構リアルなんですよね。ああいう人って、実際多かったみたいなので。
――マリーナは、シングルマザーでありながら、「グラヴセット」に潜入取材をしている反体制のジャーナリストという、やや複雑な設定でしたが……。
小泉:そうそう。実際、アメリカ人の書いたルポとかを読むと、そうやってIRAに潜入して、そのことを記事にして発表したロシア人ジャーナリストが、何人かいたみたいなんですよね。で、その人たちが言うには、IRAには、文才があって外国語が堪能な人も多くいて、失業した記者みたいな人も、結構働いていたみたいなんですよね。実際、給料は破格に良かったらしいですし。まあ、このドラマのようなオシャレなオフィスではなかったと思いますけど(笑)、ああいう感じのところで、いくつかの班に分けられて、チームで仕事をしていたってことは間違いないんですよ。
――「グラヴセット」の人たちは、Twitterで一生懸命偽情報を流していましたけど(笑)。
小泉:実際、ああやって一つのテーマに関して賛成派と反対派の双方を焚き付けるようなツイートをしていたようです。勤務時間もターゲットとなる国のタイムゾーンに合わせて。あの「グラヴセット」という組織は、ロシアにあるいろんなサイバーと情報戦の機関を全部マッシュアップして、わかりやすく一カ所にまとめた、作劇上の装置なんだと思います。一部はIRA的な偽情報を流す、いわゆる「トロール工場」みたいなことをやっていますが、同時に、サイバー攻撃もやっていますよね。多分、サイバー攻撃はFSB(ロシア連邦保安庁)とか、あるいはSVR(ロシア対外情報庁)であるとか、GRU(ロシア連邦軍参謀本部情報総局)であるとか、ロシアにはいろんな情報機関があって、本来は別々に動いているんですけど、このドラマでは一緒になっていると。で、一緒になっているがゆえに、サイバー戦と偽情報戦を非常にうまく同期させていて……実際のロシア軍は、あそこまでうまく同期できないんですけど(笑)。
――そうなんですね。
小泉:彼らの作戦の第三段階って、実はマルウェアではなかったじゃないですか。そこが本当にうまくできているなと思ったんですけど、それは、2016年のアメリカ大統領選への介入をはじめ、ロシアのいろんな情報戦において、共通して報告されているパターンなんですよね。つまり、社会の中の「分断線」をうまく見つけてきて、そこに燃料を投下するというやり方をしている。これはもう、昔からロシアの戦略家たちがずっと唱え続けてきたことだし、まさに先ほど言った「反射統制理論」もそうなんですよね。このドラマの中で、奇しくもヴァディームが語っていましたけど、相手が自発的にそうやっているように見せながら、こっちの望む行動をとらせるというのが、反射統制理論の肝要なところなので。
――「行動の自由など幻想にすぎない」という恐ろしいセリフもありました。
小泉:そうそう。そのためには、相手がどういう行動様式を持っているかを知らなくてはいけないわけです。相手の思考パターンを知るというか。この社会の価値観からすると、こういう問題が起きたら必ずこういうふうに行動するだろう、ということありますよね。そっちの方向に行くと破滅的なんだけど、その社会のルールではもうそうなるしかない、というような。そういうものを研究して、それを数学的な反射モデルに当てはめれば、相手の行動をある程度コントロールできるという。それが「反射統制理論」です。2016年のアメリカの大統領選挙への介入のときは、それを見事に使ったんだと思います。あのときは、まず移民とか黒人の権利、あとは銃規制、妊娠中絶といった、どれも絶対アメリカ社会で荒れるようなテーマをIRAは想定して、その賛成派と反対派の両方に、それぞれウケるような情報を流していたんですよね。だからまさに、このドラマの中のヴァディームのチームそのものなんですよ。
――なるほど……。
小泉:さらに言うと、選挙結果が不正だっていうことでみんなが怒って、社会がひっくり返るっていうのは、旧ソ連諸国でよくあるパターンなんですよ。2004年の最初のウクライナの革命、いわゆる「オレンジ革命」がまさにそうですし、最近だと2020年のベラルーシの大統領選挙では、それでルカシェンコ大統領は失脚しかかるところまで行きました。だから、旧ソ連でももともとこのパターンの政変はよくあるし、かなり致命的な結果をもたらす場合が多いんですよね。まあ、西側ではさすがにそういうことはないだろうと思っていましたけど、2021年のアメリカ議会議事堂襲撃事件とかを見ると、安定していると思われている欧米でも、選挙結果に対する疑義というのはやっぱり起こり得る。そのあたりを踏まえると、このドラマは非常にリアルですよね。
――しかし、このドラマを観終えたあと、我々視聴者は、何をどのように捉えたらいいのでしょう。わりと途方に暮れてしまうところもあるのですが(苦笑)。
小泉:僕は、それでいいんじゃないかと(笑)。というか、僕もただのいち視聴者に過ぎないわけですけど、本当に夢中になって観たので、まずはそれでいいんじゃないかと思うんですよね。もちろん、そこに安全保障の現代性みたいなものを読み取りたい人は、読み取っていただいても全然いいと思いますし。
――つまり、決して荒唐無稽なドラマではないと。
小泉:むしろ、ものすごくリアルというか、日本が直面しそうなシナリオに、かなり近いものがあるように思います。日米安保がしっかりしている状態で、中国の巡航ミサイルが、いきなり東京に100発飛んでくるということは、まずあり得ないんですよ。ところが、このドラマで描かれているようなことが、東京で起きる可能性はないかと言われると、それは遥かに高い蓋然性で起こり得るわけです。ただ、そこで必ず問題になってくるのは、先ほど言ったように、それをやる意図がよくわからないってことなんですよね。このドラマでも、そこが問題になっていましたけど、つまりああいう形で英国を攻撃して、ロシアが結局何を達成したいのか。このドラマの中では、明確な形では描かれてないじゃないですか。情報戦の末端にいる人々の姿は、イギリス、ロシア双方とも活き活きと描かれているんですけど、その後ろにいる人間……2024年が舞台とはいえ、はっきりプーチンという名前が出てくるので、このドラマの中のロシアは、まだプーチンのロシアなんだと思うんですけど、このドラマの世界のプーチンが、何を考えているのかっていうのは、結局わからない。
――それこそ、今のリアルな世界と同じくらいわからないですよね……。
小泉:そう。ただ、国家というものは、特に何の意味もなくああいうことは絶対しない。実際、ロシアがああいうことをしてくる可能性は、そんなに高くないとは思っているんですけど、将来の戦争の中の一つの有力なシナリオでは絶対あるんだろうなと思っています。それに関して言えば、たとえば中国は、日本に対してはそれをしないかもしれないけど、台湾にする可能性は、かなり高いと思うんですよね。実際、台湾は毎年のように選挙介入とか偽情報介入とかを受けているようです。僕は今、偽情報対策の研究会というのもやっているんですけど、そこに台湾の専門家とバルト諸国の専門家にきてもらっていて。彼らの話を聞くと、彼らにとっては偽情報で外国から干渉されるというのは、可能性の話じゃなくて、もう実際日常的に起こっていることなんですよね。なので、このドラマがもし仮に、近未来を描いたSFっぽく見えるとすれば、それは恐らく我々が、何だかんだ言って日本はそれなりに大国で、なおかつアメリカという世界最強の同盟国がいるからに過ぎないのかもしれない。だから、まだこのドラマが「SF」ではなくなっている国は、もう結構あるんだと思います。
――特にイギリスをはじめとするヨーロッパ諸国では……。
小泉:かなりあると思います。あと最後にひとつだけ。このドラマの中で、ロシア・グローバル・ニュースの偉いおばさんが、「国際秩序をぶっ壊してやりたい」みたいなことを言うじゃないですか。多分、ああいう考えの人って、いっぱいいるんだと思います。それはロシア側だけではなく、ブレグジット(2020年のイギリスの欧州連合離脱)を主導した人とか、いわゆる「ポピュリスト」と呼ばれる人たちって、みんな恐らくそうなんでしょう。とにかく、既存の秩序を一回ぶち壊してみたいというか、ぶち壊したあとの展望は特にないんだけど、現状に不満だから、今あるものをぶっ壊したいっていう。
――ある意味、映画『ジョーカー』(2019年)で描かれていたような。
小泉:そうそう。ある意味、ジョーカー的なものですよね。ただ、ジョーカーっていうのは、ある種「破滅型」の人間なんですけど、その人たちは恐らく、ぶち壊したら自分たちにとって、もっといい世界がくるって漠然と思っているんですよね。そこに具体的な展望がなくても。そういう思想というのは、ロシアに限らず、西側先進国で暮らす一部の人たち、あるいはグローバルサウスと呼ばれている国々の人々と、ある程度響き合うものがあるんじゃないですかね。
――いわゆる「善悪の戦い」とは、また違う……そこが非常に現代的なのかもしれないですよね。
小泉:そうなんですよね。どこかに絶対的な、わかりやすい悪がいるわけではなくて、西欧的な価値観のぐらつきとか、その動揺みたいなものは、間違いなくあるでしょうし、最近はロシアのそれなりにちゃんとした専門家たちも、そういう激しいことをどんどん言うようになってきていて。「今、ヨーロッパは500年の覇権を失いつつあって、今こそ我々ロシアのチャンスである」と。実際、ヨーロッパ人自身も、少し自信を喪失しているところがあって、それが非ヨーロッパ世界から見ると、今なら新しい時代を始められるぞみたいな雰囲気があるんでしょう。そういうところも、このドラマは、非常にうまく描いていると思いました。
■放送・配信情報
海外ドラマ『GCHQ:英国サイバー諜報局』(全6話)
【配信】 Amazon Prime Video チャンネル「スターチャンネルEX -DRAMA & CLASSICS-」
<字幕版>独占配信中 毎週月曜1話ずつ更新
配信ページ:https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0BZZ8PTV3
【放送】 BS10 スターチャンネル
<STAR1 字幕版>8月15日(火)より 毎週火曜23:00ほか
※8月5日(土)14:00より 字幕版 第1話 先行無料放送
<STAR3 吹替版>8月17日(木)より 毎週木曜22:00ほか
作品公式サイト:https://www.star-ch.jp/drama/gchq/sid=1/p=t