『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』の“悪夢”こそ映画の存続価値か? 現代への凄惨な耳打ち

 64マスの市松模様で区切られた四辺形。この小さな平面上で起こる事柄が、あたかも激動の近現代史そのものを映しているかのようである。そんな途方もない歪曲空間を、『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』というドイツ映画は生み出した。1960年にアメリカで発売されて以来、今なお子どもたちのあいだで愛される「人生ゲーム(The Game of Life)」と同じように、この映画の中の市松模様で区切られた四辺形の中にも、途方もない世界が広がっている。1940年代以降のハリウッド映画に綿々と続くニューロティック・スリラー(neurotic thriller=神経症的スリラー)というジャンルに連なる作品だ。

 しかし『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』という映画について書くという行為は、まったくもって無謀なことに思える。絶体絶命に追い込まれたひとりの男の、生命と尊厳をかけた大勝負は、一瞬一瞬がいくえにもミステリーの膜に包まれ、危険な謎に覆われている。どんなに繊細な手つきをもってこの包皮を剥がしてみせても、ミステリーの楼閣はガラス細工のように粉々に砕け、シャボン玉のように消えてしまうのではないか。と同時に、いかなる大手術によってさえも切除できないほどの根深い病根がミステリーの膜という膜に巣くっているようで、もうどうやっても元通りにはならないのではないか。

 ニューロティック・スリラーほど、事前に物語に触れてはいけないジャンルはあるまい。おそるおそる取っかかりのみを紹介するならば、時は第二次世界大戦の前夜。火薬の匂いが漂い始めたヨーロッパからニューヨークへと出航した豪華客船の船内で、チェスの大勝負がおこなわれようとしている。ひとりの謎多き中年紳士が、チェス世界チャンピオンのチェントヴィッチと互角の勝負を展開する。謎多き男の名はヨーゼフ・バルトーク。旧オーストリア=ハンガリー二重帝国の名門一族の出身で、ハプスブルク王朝時代から皇族や貴族の莫大な資産管理を務めつつ、高い地位と収入を維持してきた。苗字から言ってハンガリー系の家系だろう。

 そんな名家の御曹司がすっかりやつれ果てたみすぼらしい姿でスコッチウイスキーの杯を重ね、よろよろと船のデッキを徘徊する。それでもチェスの腕前だけは世界チャンピオンに匹敵するバルトーク氏には、痛烈な秘密があった。それはナチスによる監禁経験で、この監禁およびゲシュタポとのスリリングな神経戦が大いに関係しているのだが、この点についてくわしく触れるのは避けておこう。ナチスドイツによるオーストリア併合は1938年3月13日。この日の朝から『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』の物語は始まる。バルトーク氏はウィーンの上流階級ならではの優雅なたたずまいで嵐をやり過ごそうとし、夜になれば舞踏会へ出かけて行って、愛する妻とともにヨハン・シュトラウスのワルツを踊って見せたりする。ウィーンの舞踏会と社交界を指して「会議は踊る、されど進まず」という言葉が有名だが、ウィーンという街はワルツを踊っているうちにナチスドイツによって占領されてしまったのだ。

 バルトーク氏は亡命に失敗し、ヨーロッパ屈指の名門ホテルに監禁された。「ホテル・メトロポール」にゲシュタポのオーストリア本部が置かれたのは歴史上の事実である。併合されたオーストリア最後の首相クルト・シュシュニックも「ホテル・メトロポール」に監禁された。この映画では、併合を告げるシュシュニック首相による無念のラジオ演説も聴くことができる。舞踏会が催されていた貴族の館から、「ホテル・メトロポール」の監禁部屋へ、さらには荒れ狂う大西洋を航行する船上へと舞台がめまぐるしく移動していき、いつのまにか個人の記憶/歴史の記憶/できごとの順序がシャッフルされ、鍋の中のスープのごとく渾然一体となっていく。どこからが現実なのか、追憶なのか。いや、単に狂気のなせる幻視なのか。この映画が見せるニューロティックな悪夢の連鎖は、バルトークという個人の悪夢と、ヨーロッパ近現代史の大文字の悪夢の、シームレスな接着面である。洒落のめした貴公子バルトーク氏は、それでも収監初日こそ「ウィーンの人間は音楽と文学を愛し、美食と美人を好む。チェスはしょせん退屈なプロイセン将校の娯楽だ」とゲシュタポの司令官に対して軽口を叩いていたのだが……。

 原作は20世紀オーストリアを代表する作家シュテファン・ツヴァイク(1881-1942)の中編小説『Schachnovelle』(シャッハノーヴェレ/みすず書房の邦訳版では『チェスの話』、幻戯書房の新訳では『チェス奇譚』という邦題が付いている)。ツヴァイクはこの中編小説を書き終え、出版社にタイプ原稿を投函した数日後に、妻のロッテとともに心中している。ツヴァイク文学の映画化といえば、なんと言っても名匠マックス・オフュルス監督によるメロドラマの傑作『忘れじの面影』(1948年)、そしてノーマ・シアラーにヴェネツィア国際映画祭の女優賞と米アカデミー賞の主演女優賞ノミネートをもたらした『マリー・アントワネットの生涯』(1938年/W・S・ヴァン・ダイク監督)が有名である。そして今回はツヴァイクの最高傑作と評される『Schachnovelle』がどのように映像化されているのか。オフュルスの『忘れじの面影』もそうだったが、愛や執念に取り憑かれた人間がどうしようもなく囚われてゆく逃げ場なきシチュエーションが、『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』でもめくるめく絢爛さと迫真性をもってカメラに収められている。

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