『君たちはどう生きるか』と2010年以降のジブリ作品の関係 共通する“家族の肖像”と“死”

『君たちはどう生きるか』が描く家族と死

2010年代以降のジブリアニメとの関係

 スタジオジブリの宮﨑駿監督の10年ぶりとなる新作長編『君たちはどう生きるか』が、7月14日に劇場公開された。ちなみに、公開日当日のレイトショーで映画を観て、すぐにこの原稿を書いている。周知のように、本作は現時点で公式サイトも劇場パンフレットもなく、作品情報がきわめて乏しい。物語のディテールや登場キャラクターの名前など、少なからず誤記があるかもしれないが、ご容赦いただきたい。

 一見しても多くの論点が見つかる本作だが、この原稿ではさしあたり、10年ぶりの新作ということもあり、ここ最近、具体的には宮﨑の前作『風立ちぬ』(2013年)や、2010年代以降のジブリ作品を手広く俯瞰しながら、本作のモチーフやテーマをその中に位置づけてみたい。10年ぶりの宮﨑作品に限らず、ここ10年ほどのジブリの劇場用長編といえば、実質、ジブリ作品とは言い難い『レッドタートル ある島の物語』(2016年)を除いても、『思い出のマーニー』(2014年)と『劇場版 アーヤと魔女』(2021年)のわずか2作品しかない。今の10〜20代前半くらいまでの若者世代(Z世代)は、もはやジブリアニメそのものにほとんど馴染みがないだろう。この原稿の目的は、そうした世代に向けて文脈を紹介する意味も持っている。

 さて、すでに出ている無数のレビュー記事であらすじが紹介されている通り、本作は、戦時中に母親を空襲の火災で亡くし、父親が再婚した母の妹にあたる継母・夏子(声:木村佳乃)のいる地方の屋敷に移り住んだ少年・牧眞人(声:山時聡真)が、失踪した夏子と亡母を探すため謎めいた洋館の中に広がる不思議な世界へと旅立つ冒険ファンタジーである。

前作『風立ちぬ』との結びつき

『風立ちぬ』©2013 Studio Ghibli・NDHDMTK

 何度も繰り返すように本作は、宮﨑にとって、実に10年ぶりの長編アニメーション映画となったわけだが、彼のフィルモグラフィの中にどのように位置づけることができるだろうか。前作『風立ちぬ』との関係から考えてみよう。

 空襲警報のサイレンと燃え盛る家並みを俯瞰で描く画面から始まる物語の舞台は、おおよそ1940年代前半、太平洋戦争中の日本だ。すなわち、この時代は、まず本作が重要な参照先とし、そもそも題名の由来ともなった吉野源三郎の児童小説『君たちはどう生きるか』(1937年)の刊行当時の時代に近い。と同時に、いうまでもなく前作『風立ちぬ』で描かれた時代を引き継いでいるといえる。ちなみに、『君たちはどう生きるか』が刊行された1937年は、これもまた宮﨑の『風立ちぬ』の主な着想元のひとつになった堀辰雄の代表作『風立ちぬ』(1937年)の発表年でもある。また、アニメーションの歴史においても、ウォルト・ディズニーが『白雪姫』(1937年)によって史上初の長編化を成し遂げ、産業としても芸術・娯楽としても発展していく重要な年だ。ともあれその意味で、『君たちはどう生きるか』も、基本的には『風立ちぬ』以来の問題設定や主題を引き継いでいるとみなしてよい。

「家族の肖像」としての『風立ちぬ』『君たちはどう生きるか』

『風立ちぬ』©2013 Studio Ghibli・NDHDMTK

 そして、当時、70代を迎えた老作家の後期作品(レイト・ワーク)である『風立ちぬ』の隠れた重要な主題とは何だったかといえば、これもすでにいくつもの指摘やレビューが存在するようにーーそしてまた、宮﨑自身も証言しているようにーー、宮﨑の家族的出自を問い直すことだった。具体的には、主人公の、零戦を設計した実在の航空技術者・堀越二郎のキャラクター造型の一部に、宮﨑の父・勝次の面影が取り入れられている(例えば、作中で二郎が飢えた子どもにシベリアを差し出す件は、ドキュメンタリー映画『夢と狂気の王国』(2013年)の中で宮﨑が語っている、空襲のさなかに自宅に勝手に上がり込んでいた子どもにチョコレートをあげたという勝次のエピソードに基づいているだろう)。それを踏まえると、80代に達した宮﨑が手掛けた今回の『君たちはどう生きるか』は、ある意味で『風立ちぬ』以上に自らの出生から幼少期の時代と両親の存在をはっきりとモチーフにした作品になっている。

 まず、先にも触れたように、そもそもこの作品の舞台の時代が、1941年という宮﨑の生まれた年の前後に設定されている。冒頭近くの眞人の独白では、「戦争が始まって3年後に母が死に、4年後に疎開した」とある。この「戦争」を、(まさに『風立ちぬ』と『君たちはどう生きるか』が書かれた年の)日中戦争(1937年勃発)とすると1940〜41年、太平洋戦争(1941年勃発)とすると1944〜45年の物語となるが、どちらにしろ、宮﨑が生まれた時代だ。なお、この種の符合は、宮﨑が東映動画(現在の東映アニメーション)に入社し、アニメーターとして出発した1963年を舞台にした企画・脚本担当作品『コクリコ坂から』(2011年)にも見られる。

 そして、父・勝次との関わりについていえば、何よりも本作の主人公・眞人の父・ショウイチ(声:木村拓哉)の設定に表れている。彼は、軍需工場を営んでおり、なおかつ前妻と死別したことによって再婚しているが、これは宮﨑の父・勝次の経歴とまったく一緒である。しかも、物語前半で父の工場の工員たちが戦闘機のガラス製の風防を大量に屋敷に運び込む描写が登場するが、これも、敬愛する昭和史家・半藤一利との対談集『半藤一利と宮﨑駿の腰抜け愛国談義』(文春ジブリ文庫)の中でも語っている通り、宮﨑の実家で勝次が経営していた「宮﨑航空機製作所」の事業と同じである。

 さらに、空襲によって都会から地方に疎開した眞人の境遇は、やはり東京で生まれたのち、空襲のために栃木県宇都宮に小学3年生まで疎開していた宮﨑自身の体験に基づいているだろう。したがって、眞人の疎開先の町に見られる「大沼町」という町名は、同じ名前の町がある北海道や茨城県、愛知県というよりは、やはり宮﨑一家の飛行機工場があった栃木県鹿沼市をもじっていると見るのが正確なはずだ。

『天空の城ラピュタ』©1986 Studio Ghibli

 そしてこの父親以上に重要なのが、やはり母の存在だろう。これまたすでに数々の研究書やドキュメンタリーで語られている通り、宮﨑の母・美子は、彼にとってきわめて重要な存在である。美子は、宮﨑の幼少期から脊椎カリエスを患い、勝ち気で男勝りな性格ながら、長年寝たきりの生活を送ったあと、宮﨑がアニメーション監督として成功する直前に亡くなった。その母の面影は、その後の宮﨑アニメのさまざまな女性キャラクターに大きな影響を与えているとされる。『天空の城ラピュタ』(1986年)のドーラや『崖の上のポニョ』(2008年)のトキにはその性格が、『となりのトトロ』(1988々)のサツキとメイの母や『風立ちぬ』の里見菜穂子にはその病弱な部分が、それぞれ反映されていると言われる。

 そして、これは私の印象だが、今回の『君たちはどう生きるか』に登場する二人の「母」ーー死別した実母の久子と、「母さんにそっくり」と紹介される継母の夏子の顔は、どちらも宮﨑の母・美子の写真に酷似しているのだ。そして、宮﨑の幼少期の経歴が投影されている眞人は、実は久子の少女時代の姿だったヒミ(声:あいみょん)とともに夏子を探す冒険に出るのだが、そう考えると、この展開は、エディプス的にかなりナルシシスティックなものに感じられる(評論家・宇野常寛がかつて論じた「母性のディストピア」?)。眞人が失踪した夏子を探すために入り込む洋館の足元のトンネルも「母胎回帰」を象徴しているようだ(『となりのトトロ』でサツキとメイが入り込む森のトンネルっぽくもあるが)。

 以上のように、『君たちはどう生きるか』には、『風立ちぬ』から直接的に続く、自身と宮﨑家の「ファミリー・ヒストリー」のテーマが全体に濃密に認められる作品になっている。

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