『君たちはどう生きるか』に散りばめられたジブリ作品の記憶 宮﨑駿の底力を見た
※本稿は『君たちはどう生きるか』のネタバレを含みます。
スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが「情報が溢れている時代だからこそ、情報がないことがエンターテインメントになる」と各所で語ったように、公開日までストーリーも出演者もオープンにされず、映画の公式サイトすら存在しない、テレビCMも流さない、ないない尽くしの映画『君たちはどう生きるか』。
一切の情報が伏せられた戦略が却って観客の関心を集め、公開初日の全国のシネコンは、どんな映画なのかも分からない人たちの指定席予約で座席が埋まっていた。宣伝をしないことが結果的に宣伝になったわけで、まんまとプロデューサーの術中にはまった形になる。作家の吉野源三郎が書いた小説と同じタイトルであること、ジブリの最新作であること、宮﨑駿の監督作だということ以外は、ほとんど情報が得られなかった人たちが、平日封切りの劇場に詰めかけたのだ。
『君たちはどう生きるか』の主人公は、牧眞人(まきまひと)という10代の少年だ。軍需工場を経営する父親と共に東京を離れ、父の後妻が待つ郊外へ疎開する眞人は、航空機製作所に務める父と戦時中に疎開した宮﨑駿の実体験がモデルではないかと思わせる。
こうした下地の上に、作中の様々なアニメーションやシチュエーションに、これまで制作されてきた宮﨑駿監督作のエッセンスを感じさせてくれる。眞人が火災現場へ向かって走る開幕早々のシーンは、『風立ちぬ』(2013年)冒頭のモブシーンのような情報量で圧倒される。眞人が草木と小枝で出来たトンネルをくぐるカットは、メイが小トトロを追いかけて行く『となりのトトロ』(1988年)の一場面にそっくりだ。次々に遭遇する、人語を解する人ならざる生き物たちは『千と千尋の神隠し』(2001年)。
父の後妻の屋敷で奉公する老婆は『崖の上のポニョ』(2004年)で、宗介をかわいがるデイケアセンターのお婆ちゃんたち、眞人と行動を共にする、愚痴をボヤきながらも人の好さが滲み出る嫌味なコメディリリーフは、『崖の上のポニョ』のフジモトにも通じる。『となりのトトロ』(1988年)のススワタリや、『もののけ姫』(1997年)のコダマたちのように、小さくて不思議な生き物の群れも現れる。
自身の監督作ではないものの、宮﨑駿が企画初期に携わった『思い出のマーニー』(2014年)もまた、古びた建物に足を踏み入れた主人公が、自分のルーツと邂逅する物語である。広い草原に立つ主人公が、美しい光景を見届ける解放感は『ハウルの動く城』(2004年)、『風立ちぬ』を想起させる。
このように作中の随所に懐かしいジブリ作品の記憶が散りばめられ、『風立ちぬ』以来10年をかけて熟成、濃縮された宮﨑駿の個人芸に、観客の顔がほころんでしまうのが『君たちはどう生きるか』の面白さの本質ではなかろうか。ウサギならぬアオサギを追いかけて地の底に落ちた主人公が、幾多のピンチを乗り越えて現世に戻ってくる本作は、19世紀のイギリスの児童文学『不思議の国のアリス』のジブリ版のようであり、宮﨑駿の頭から絞り出された現代のファンタジーなのだ。