『らんまん』タキを聖人君子にしなかった脚本の誠実さ 前半戦は朝ドラ屈指の締め方に

『らんまん』前半戦は朝ドラ屈指の締め方に

 朝ドラでは時折、話の途中で最終回かと思うような回がある。『らんまん』(NHK総合)第13週「ヤマザクラ」は万太郎(神木隆之介)の祖母・タキ(松坂慶子)の死で、江戸時代の完全なる終わりが描かれた。

 『らんまん』における江戸とは身分制度に人間が縛られていた時代。士農工商に厳然と分けられ、「家ガチャ」ーー生まれによって将来が決まっていて、自分のちからではどうしようもないのである。

 槇野家、峰屋は家ガチャでいえば当たりで、商人ながら帯刀を許され、当時の藩主に贔屓にされて商売を存分に行ってきた。それを周囲からは疎まれていたことが、第13週の前半に噴出する。新政府の税金の取り立てに困った綾(佐久間由衣)が組合を作ろうと酒蔵仲間に持ちかけるが、これまでいい思いをしてきた峰屋に味方する者はいない。要するにこれまで殿様商売をしてきたのだ。綾が女性であることにも偏見を持たれている。

 そして第65話、万太郎と寿恵子(浜辺美波)の祝言の日、綾と竹雄(志尊淳)が結婚し、峰屋を継ぐことが祝言の出席者たちに発表された。分家はてっきり、綾と分家の長男・伸治(坂口涼太郎)が結婚し、いよいよ本家と分家が統合され自分たちの時代が来ると思い込んでいたから、はしごを外されて激怒する。

 丁寧な脚本で評判の『らんまん』だが、意外とこのくだりは駆け足で、そんなデリケートなことを祝言の日に急に聞かされた分家が気の毒になるものだった。いや、おそらくそれが狙いであろう。綾と竹雄も本家の血筋でないので、本家も分家もなくなり、結果的には悪いことにはならないのであろうけれど、これまでどれだけ本家と分家を分け隔てられ、悔しい思いをしてきたか……という分家の嘆きはもっともである。そんなふうに視点が逆転する。

 序盤からネチネチと拗ね者だった分家の人々。このまま悪者で終わるかと思った彼らの言い分もあると思わせ、タキも聖人君子として終わらない。それこそが『らんまん』の面白さである。

(前列左から)西村寿恵子役・浜辺美波、槙野タキ役・松坂慶子、槙野万太郎役・神木隆之介 (後列左から)槙野綾役・佐久間由衣、井上竹雄役・志尊淳

 「峰屋の大黒柱であったタキの旅立ちによって、一つの時代が終わりを告げた」(語り:宮﨑あおい)というナレーションは、タキの象徴する時代が決して、古き良き時代というだけではないことを物語る。いいこともあるが、葬り去らないといけないこともある。そのひとつが本家と分家の差別で、悪しき伝統を携えてタキはあの世に旅立つのだ。いわば、時代と心中するようなもの。

 タキが槙野家に嫁ぎ、夫に先立たれたあと、懸命に家のために働き、それがときに理不尽な厳しさであったことはドラマの序盤に描かれていた。第65話が放送された6月30日の『あさイチ』(NHK総合)にゲスト出演していた松坂慶子は、冗談まじりながら、タキは怒ってばかりいた、みたいなことを言っていた。でもタキが踏ん張ったおかげで、峰屋は裕福で、万太郎は自由に生きられ、養子の綾も衣食住に困らずに済み、竹雄というよき伴侶も得る。

 従来だったら、重要キャラのタキをひたすら聖人的に描いても良さそうなところ、タキは身分制度という悪しき風習に翻弄されながら、自身もまた、他者にそれを強いていた人物として、とてもフラットな立ち位置にいる。分家の人たちに、これまでのことを謝罪するのだが、あまりにあっさりで、いささか虫がいいような気もしてしまうところに、人間らしさがある。これもまた、文学を学ぶ丈之助(山脇辰哉)が言うところの、江戸時代の日本の物語が描いてきた時代遅れの勧善懲悪ではなく、欧米の人間描写を意識したものなのであろう。

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