コロナ禍を描くアクションノワール『ブラッドハウンド』 タイトルに込められた意味とは?

 アクチュアリティのタイミングをつかむこと、同時代に観ることでしか実感できないさまを透徹して描き抜くことは、製作者にとって重要な才能なのかもしれない。『ソーシャル・ネットワーク』は、Facebookが生まれていく過程を通し、ソーシャルネットワークサービスというものが現代にもたらす影響に切り込んだばかりか、あの時代をともに生きていた多くの者の共通認識ーー新しいメディアを受容していく社会と人々の狂熱や憂鬱、孤独が生々しくパッケージングされている。

 韓国ドラマ『ブラッドハウンド』の序盤エピソードで、主人公たちが電動キックスケーターで駆けていくがらんどうの街並みは、まさにそうした現代性によって捉えられたショットだ。パンデミックの下で制作された作品は枚挙にいとまがないが、韓国のコンテンツでここまで如実に再現されているドラマは珍しい。これまで『ミッドナイト・ランナー』(2017年)、『ディヴァイン・フューリー/使者』(2019年)、『My Heart Puppy(英題)』(2022年)とスクリーンで活躍を広げてきたキム・ジュファン監督は、初のドラマ作品『ブラッドハウンド』で、我々にとって記憶の生々しいコロナ時代を背景に据えた。

 「作家としてどのように同時代と生きていくのか、時流を捉えなければければならないと思う。 私たちの現場も新型コロナウイルス感染症の影響を受けたし、世界的に影響があっただろうから、 そうした痛みを分かち合い、打ち勝つ姿をグローバルOTTで見せれば、よく伝わるのではないかと思った」と、当初から意識的な舞台設定だったことを明かしている。

 2023年というアフター・コロナを生きる我々にとって、昼間にもかかわらず寝静まったような町並みは、実感のある空虚さで骨身に迫る。時宜にかなったアプローチへの反応は、数字にも表れ、Netflixの「今日のTV番組TOP10」入りを果たしている(6月26日時点)。

 『ブラッドハウンド』はパンデミックを表層的にのみ描いているのではなく、社会と強く接続するドラマだ。主人公で若きボクサーのキム・ゴヌ(ウ・ドファン)とホン・ウジン(イ・サンイ)は、選手権の対戦をきっかけに意気投合する。父を亡くしているゴヌは、ファイトマネーやアルバイトで母を支えつつ寄り添って生きていた。ある夜、母が経営するカフェが、見知らぬ集団から襲撃される。パンデミック下でやりくりに苦心する小さな店や食堂をターゲットにした悪質な闇金業スマイルキャピタルを経営するミョンギル(パク・ソンウン)の策略で貸し金詐欺に遭い、多額の借金を背負わされていたのだ。凄腕なゴヌもミョンギルの部下インボム(テ・ウォンソク)の怪力にねじ伏せられ、ミョンギルからは頬に痛々しい傷を刻まれてしまう。消費者金融で働いていた経験があるウジンのつてを頼り、ゴヌは貸金業界のレジェンド、チェ社長(ホ・ジュノ)に出逢う。困窮した人々へ無利子で金を貸すチェ社長のもと、社長の孫娘ヒョンジュ(キム・セロン)と合流し、2人はミョンギルの不正を正すべく死闘に身を投じていく。

 韓国ドラマや韓国映画の特徴のひとつに、社会性の強いテーマと娯楽性を絶妙に融合させて大衆に投げかける巧みな手腕が挙げられる。日本でも記憶に新しい、コロナ禍における詐欺を扱う『ブラッドハウンド』は、その好例と言えよう。ミョンギルは、パンデミックで建設が頓挫したホテルでのカジノ事業を目論み、財閥三世のホン理事(チェ・シウォン)に接近する。ミョンギルは、渡航制限で海外へ行けず「カジノへ行きたくてうずうずしてる」人たちをギャンブル漬けにし、資金が尽きるとスマイルキャピタルで金を貸す。ウジンと懇意にしている貸金業者はスマイルキャピタルを「大企業でチンピラではない」と言うように、国会議員とのパイプも持つミョンギルの狡猾さは巧妙に隠れている。貸金業そのものが「コロナのおかげで景気が良い」と嘯くセリフがあるように、コロナ禍は闇を一層深く、悪をより卑劣にした。

 本作は、オフィシャルには「アクションノワール」というジャンルに大別される。たしかに、犯罪をテーマにバイオレンス描写を盛り込む展開は、韓国作品が得意とする正統派ノワールと言える。一方、そうしたジャンルものの定石を踏みながらも、これまでのノワールとは異なるのが本作の見どころだ。

 すでにこのドラマを観た方の脳裏には、「海兵隊」という単語がこびりついているに違いない。ゴヌとウジンは、互いに海兵隊出身であることから結束が強くなるし、貸金業者パク・フン(ムン・グァンム)はホジンの海兵隊の先輩で、筋金入りの海兵隊至上主義者だ。韓国人青年の義務である兵役の中でも訓練が過酷である海兵隊へ志願することは昔から「男を上げる」ともてはやされてきたが、こうしたマチズモ的思考や前時代的価値観はもはや支持されない。ドラマの中で、海軍出身を誇りにするパク・フンは今ひとつ頼りないし、ホジンが「海兵隊出身者が“これぞ海兵隊の精神”と言うのは、ラッパーが“これがヒップホップだ”と主張するのと同じだ」という冗談みたいなセリフに、ヒョンジュは呆れ顔だ。本作は、海兵隊に象徴されるマチズモをどこかカリカチュアライズしている印象だ(ちなみにキム・ジュファン監督は空軍出身だそうだ)。

 屈強な青年男性2人をメインキャラクターに据えながらも、本作が多くの男性主義的コンテンツと趣を異にしている要素は他にもある。このドラマは、出てくる食事がとにかく美味しそうなのだ。ゴヌがうんちくを垂れながら焼くサムギョプサル、ゴヌの母が作る素朴なキムチチゲや卵焼き、酔い覚ましのスープ……。美味しいものを幸せそうに頬張るゴヌやホジン、ヒョンジュたちを見ていると、たまらず空腹になってくる。

 韓国には血縁のない家族のような共同体を表現する「シック」という言葉があり、実の家族ではなくても「同じ釜の飯を食う」ことで絆を深める習わしがある。おそらくはこのドラマの食事シーンにもそうした意図があるのだろうが、また別の意味も与えられているのではないだろうか。一般社会では、酒を酌み交わすことがお互いの潤滑油でもあると同時に、上下関係を明確にしたり、酒が弱いことを揶揄されたりする。

 本作では、ホン理事とミョンギルの飲酒対決に象徴されるように、酒は彼らのばかばかしい度胸試しで、虚栄心の暗示として使われている。他方、ゴヌはアルコール依存症でDV気質だった父のことがトラウマとなり酒は飲まないし、ホジンはさほど強くはなさそうだ。2人はホン理事たちの誘いに負けて飲み交わすが、逆に2人を潰してしまう。翌日4人は即席ラーメンを囲む。二日酔いの五臓六腑にしみる熱々のラーメンを啜る姿が実に幸福そうで、前日の酒席よりも4人を団結させているような印象がある。本作の食事風景は、その温かさとともに表面的な強さや虚勢へのアンチテーゼのように機能している。

 先に挙げたように大衆的な娯楽性と社会性のマッチングこそが韓国作品の真骨頂だが、スクリーンからドラマへとフィールドを移したキム・ジュファン監督もまた、一貫して社会的題材に関心の強いクリエイターだ。彼の過去作『ミッドナイト・ランナー』は、警察学校に通ううだつの上がらない2人の生徒が、女性の拉致現場を目撃したことをきっかけに捜査と救出に乗り出していくストーリーでパク・ソジュンとカン・ハヌルという人気俳優のチャームポイントが上手く引き出された娯楽作ではあった。しかし、家出した若年女性を拉致し彼女たちの卵子を強制的に取り出して違法に売りさばくという重大な犯罪を、未熟な青年が成長するためのステップにしかしていない点や、そうした凶悪犯罪を韓国社会のマイノリティである朝鮮族が請け負っているかのような差別的視点が強く批判された。

 本作では、テーマの掘り下げ方やキャラクター描写がアップデートされている。横暴な国家権力や無能な警察、傍若無人な財閥など、韓国ドラマや映画ではこれまで様々な悪や闇を描いており、ややクリシェにも陥っていた感がある。一方、本作のホン理事は、富しか取り柄のない御曹司としてミョンギルの脅迫に苦しみ、彼の親戚で警察官のガンヨン(チェ・ヨンジュン)もミョンギルにより生死の危険に晒される。2人とも威勢の良いことばかり言うが、結局は虚勢まみれ。だからこそ、どこか憎めない人間だ。

関連記事