『ザ・フラッシュ』がなしとげた素晴らしい達成 スケールとテーマの理想的なバランス

『ザ・フラッシュ』突出したヒーロー映画に

 DCコミックスを原作とするスーパーヒーロー映画の製作が「DCスタジオ」として、新体制に移行した。これまでマーベル・スタジオで活躍し、DC作品では『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』(2021年)を手がけたジェームズ・ガン監督らが、スタジオ全体の製作を統括する立場となったことで、さまざまなことな変わり始めている。

 だが、これから立て直しがはかられると見られていた、このタイミングで、驚きの事態が起きてしまった。かねてから製作が進んでいた『ザ・フラッシュ』が公開され、それが近年のDCヒーロー作品のなかで、王道的なヒーロー映画として突出した出来となっていたことが明らかになったのである。

 『ザ・フラッシュ』は、多くのDCヒーローが意外なかたちで登場してスペクタクルが繰り広げられるとともに、これまでにない宇宙的、次元を超えたスケールで物語が進行する。そして一方では、超高速ヒーロー「フラッシュ」こと、主人公バリー・アレンの心の葛藤と成長を描くといった、豪快さを発揮しながらもエモーショナルかつ個人的なテーマを描くといった内容。一本の映画としても、DCヒーロー作品シリーズとしても、理想的なバランスで成り立つものとなったのである。

 新体制発足以前からの製作映画が、これほど充実したものに仕上がったという点で、親会社のワーナー・ブラザースとしては、僥倖ととらえる反面、今後の方向性について、かえって迷いを生じてしまったかもしれない。それほどに、この度のアンディ・ムスキエティ監督(『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』)の堂々とした演出は頼もしいものだったといえる。

 本作『ザ・フラッシュ』の物語は、2011年に発表された連載コミック作品『フラッシュポイント』が基になっている。バリー・アレンが幼い頃に母親に起きた悲劇を、過去に赴いて自身で止めようと歴史に干渉したことで、世界の秩序が狂ってしまうというのが、全体の概略だ。

 コミックで1940年に登場したフラッシュは、超高速の能力を拡張していくことで、水の上を走ったり、壁を通り抜けたり、次元を移動するまでになっていった。『フラッシュポイント』は、その設定を利用することで、異なる可能性を辿る世界の到来という壮大な展開や、世界の無秩序化というサスペンスを描いたのだ。さまざまな世界が並行して存在しているという「マルチバース」の概念に基づく設定で、マーベル・スタジオ作品としてコミックをアニメーション化した『ホワット・イフ…?』にも近い内容だったといえる。

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 そんな『フラッシュポイント』からの設定を引き継ぐことで、本作のバリーが迷い込んでしまったのは、スーパーマンやワンダーウーマンなどが地球上に存在しないという世界。そしてバットマンことブルース・ウェインは、バリーが知っている姿(ベン・アフレック)ではない。さらに、あるトラブルによって数年前の時間へとはじき出されてしまったバリーは、そこで少し若い、スーパーパワーを得る前の18歳の自分自身に出会うこととなる。

 過去を変えたことで両親が健在なのは、バリーにとって良いことだったといえるが、人類にとって都合の悪いことに、あのゾッド将軍(マイケル・シャノン)も元気に健在だった。ゾッドといえば、『マン・オブ・スティール』(2013年)で、ジャスティス・リーグでも最強の力を持つことになるスーパーマンが死闘を繰り広げ、やっとの思いで打倒を果たした超強力なヴィラン(悪役)である。ジャスティス・リーグが存在せず、フラッシュと18歳のバリー、そしてバットマンしかいないという弱体化した手札で、地球に攻めてくるゾッド将軍を食い止めなくてはならなくなったのだ。

 本作の大きな目玉となっているのは、この世界のバットマンを演じているのがマイケル・キートンであるということだ。キートンは周知の通り、ティム・バートン監督による『バットマン』(1989年)、『バットマン リターンズ』(1992年)でバットマンを演じ、一大ブームを起こした俳優だ。つまりバリーが迷い込んでしまったのは、ティム・バートン版『バットマン』の存在するバースであったと考えられる。

 30年ぶりに復活したバットマンの登場は、当時のファンにとって最高のサプライズとなった。彼のバットスーツ姿や、懐かしのデザインで専用飛行機バットウィングの飛行を再び見ることができ、さらには当時のダニー・エルフマンによるテーマ曲のフレーズまでが流れる。本作の出来がどうこうとは別に、世代によっては、この趣向だけで喜びの絶頂に達してしまう観客もいるだろう。まさに本作の特異な設定が可能にした、奇跡のような出演である。

 マイケル・キートンの出演の意味は、それだけにとどまらない。彼がバットマンを演じたバートン版こそ、シリアスでリアリティある、大人の鑑賞を想定した現在のアメコミヒーロー映画ブームの先駆けとなる作品だったのである。その意味で本作は、原点に立ち戻ってヒーロー映画を考える、一種の批評性を獲得することとなった。ちなみに、それ以前はアダム・ウェストが実写TVシリーズのバットマンを演じていて、とくに1966年の映画版はポップな表現が満載の楽しい傑作であったことも付け加えたい。

 本作の冒頭で、ジャスティス・リーグの看板といえるバットマンやワンダーウーマンが活躍して美味しい手柄を持っていってしまい、フラッシュは落下する赤ん坊たちを受け止めるなど犠牲者の出ないように立ち回るといった場面が象徴しているように、現時点でフラッシュは、あくまでジャスティス・リーグの補助的な役回りをこなしている印象がある。

 しかし、キートン演じるバットマンが、全盛期の体力を失いながらも世界のために必死に戦い、絶対に倒せない相手に対しても自分のできる精一杯の正義を果たそうとする姿は、目の前で危機に陥っている人々を救おうとするフラッシュの姿と、つながって見えてくるところがある。たとえそれが世界を救う決定的な活躍ではないのだとしても、正義のために尽くそうとする行動こそが尊いのだと、原点となるバットマンが身をもって教えてくれるのである。ここで、フラッシュのヒーローとしての存在価値も確立することとなる。

 そして、そんなバットマンの意志を受け継いだバリーは最終的に、非常に地味でありながらも世界を変えることとなる英雄的な行動をとることにもなる。非常に簡単ではあるが、彼にとっては精神的に最も難しい行為である。この結末からも、他者のために自分のできる精一杯の行為ができる者こそがヒーローだということが示されるのである。本作が映画作品として優れているのは、このような真っ当なテーマが貫かれていることが挙げられる。

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