『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』が“挑戦的な姿勢”を崩さなかった理由

『スパイダーバース』の挑戦的な姿勢に迫る

 アカデミー賞長編アニメ映画賞を受賞するなど、アニメーション表現における新しい試みが広く評価され、エポックな作品となった『スパイダーマン:スパイダーバース』(2018年)。異なる無数の世界で活躍する、違った可能性をたどったスパイダーヒーローたちが出会い、協力して強大な敵に立ち向かう趣向が用意されたストーリーも画期的で、MCU作品や『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』なもの現在流行する複雑なマルチバース設定を映像分野において牽引することになったといえる一作だ。

 そんな『スパイダーマン:スパイダーバース』の高い評価を受け製作された、続編『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』が公開され、前作を大きく超える大ヒットを記録している。ここでは、そんな本シリーズの何が画期的なのか、そして何を描こうとしたのかを考察していきたい。

 本作では、前作で“スパイダーマン”となって、日々ニューヨークで活躍を続ける、主人公マイルス・モラレスと、その家族の物語を中心に進行する。“別バース”のヒーロー“スパイダー・グウェン”ことグウェン・ステイシーが直面するシリアスな事態、そしてマイルスとグウェン二人の運命的な再会も描かれ、そこから始まる壮大な危機が描かれることになる。

 映像が素晴らしいのは、前作同様である。「『スパイダーマン:スパイダーバース』に心を揺さぶられる理由 ストーリーや画期的な演出から探る」で解説したように、わざとフレームレートを落としてキャラクターをカクカクと動かしたり、コミックブックのようなコマ割りや吹き出しの使用、そしてアメコミの印刷に見られた色のズレまでをも人為的に再現するなど、リアルさからあえて距離を置く表現は健在だ。

『スパイダーマン:スパイダーバース』に心を揺さぶられる理由 ストーリーや画期的な演出から探る

第91回アカデミー賞長編アニメーション賞を受賞したのは、マーベルコミックスの有名ヒーロー、スパイダーマンの活躍を描いた、『スパイ…

 なぜこれが画期的だったのかを説明したい。もともとピクサー・アニメーション・スタジオやウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオをはじめとする、アメリカの第一線の大手アニメーション製作スタジオが、よりコストが増大するのにもかかわらず、基本的に手描きから3DCGに制作手法を移行させたのは、より高次元の表現を実現させるためだと考えられる。巨額の資金をかけて常に技術を革新させ、最高水準の品質を担保するからこそ、これらスタジオが他を圧倒する地位を維持できているのである。

 CG技術は凄まじいスピードで向上を続けてきた。われわれ観客は、立体的な映像や現実的なライティングが生み出す、これまでになくリアリティのある映像に驚き、どこまでも精細に、美麗になっていくアニメーション映画の新たな表現を楽しんできた。しかしその一方で、例えば『ピノキオ』(1940年)や『眠れる森の美女』(1959年)などのクラシック作品に代表されるような、手描きの風合いへの郷愁や、その美しさへの想いが蓄積されていった観客が少なくないのも事実なのではないだろうか。もちろん、ピクサーやディズニーもそこは把握し、作品ごとにアニメーション表現を模索してきたが、『スパイダーマン:スパイダーバース』は、より前衛的なかたちで一足跳びに、その両立を実現させてしまったということなのだ。

 以前書いた通り、前作で美術監督を務め、本作では監督の一人となったジャスティン・トンプソンが、前作のキーパーソンだった。TVゲーム『リトルビッグプラネット』シリーズや、アニメシリーズ『パワーパフガールズ』などで美術を担当していた彼は、CGと手描きアニメ両方の分野で表現を追求してきたアーティストだ。

 ジャスティン・トンプソンが手がけた『パワーパフガールズ』や『サムライジャック』のような作品は、最大手のスタジオ群が製作手法をCGに移行させている時代に、手描きアニメーションの枠の中で、研ぎ澄まされたセンスによって存在感を発揮していたといえよう。それは、1960年代から続いたアニメシリーズ『ピンクパンサー』が、少ない線と色で美学的な画面を作り上げていたことを思い出させる。トンプソンはそういったアメリカのアニメーションの一つの潮流の継承者として、ついに大手の劇場長編作品で、理想的なかたちでの合流を果たしたのである。

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