『だが、情熱はある』はただのエンタメにあらず 激戦の時代を生き抜いた芸人の“エール”

『だが、情熱はある』は芸人によるエールだ

 『だが、情熱はある』(日本テレビ系)は毎回、「この物語は友情物語ではないし、サクセスストーリーでもない」という水卜麻美アナのナレーションから始まる。この作品は、努力が報われるまでを描く美談ではないということが宣言されている。

 では、この作品はお笑い好き、芸人好きのための物語なのか。筆者は否と考える。2000年代というお笑い業界激戦の時代を、努力と挫折を繰り返しながら、必死に生き抜いた芸人の姿が描かれているからだ。その姿には、厳しい現実を生きる私たちへのエールが込められている。

【だが情熱はある】髙橋海人&戸塚純貴がオードリー「M-1グランプリ2008敗者復活戦」を再現!約4分間のフル尺漫才公開!!

 本作は、オードリーの若林正恭(髙橋海人)、南海キャンディーズの山里亮太(森本慎太郎)のエッセイを元に構成されている。共に2000年にデビューし、大活躍中のコンビでありながら「たりないふたり」という漫才コンビを組み、人気を博していた2人だ。

 実は2000年デビューのコンビは、とても多く世に出ている。作中ではヘッドリミットとして登場したキングコングを筆頭に、NONSTYLE、ダイアン、ナイツ、平成ノブシコブシ、ピースなど、挙げるとキリがない。第9話で描かれた2008年M-1の決勝進出者は、9組中6組が2000年デビューだった。

 現在、40〜45歳前後になっているこの世代。学生時代には、ダウンタウンやウッチャンナンチャン、ナインティナインが大活躍していた世代に当たる。おもしろい芸人がテレビで活躍し、昼夜を問わずお茶の間を笑わせていた。作中で、学生時代の若林、山里ともにおもしろいという褒め言葉に過敏になっていたように、“おもしろい”という言葉が大きな価値を持っていた時代だ。おもしろい人に憧れ、芸人になることを夢見る若者が多い世代であったといえる。

『だが、情熱はある』は“リアルタイム”な楽しさがある ラジオやSNSで熱狂する芸人たち

ドラマ『だが、情熱はある』(日本テレビ系)が、回を重ねるごとに盛り上がりを増している。  第6話まで放送された現在、放送直後に…

 日本のお笑い史から見ても、2000年代は1つの節目と言える年であった。2000年前後、大阪ではbaseよしもと(現よしもと漫才劇場)、東京ではルミネtheよしもとが開館。NHKでは観客投票によってオンエアの可否が決まる『爆笑オンエアバトル』が放送を開始し、民放局でも『エンタの神様』(日本テレビ系)や『笑いの金メダル』(テレビ朝日系)など、続々とネタ見せ番組が増えた時代だった。フジテレビでは、後に『はねるのトびら』を生んだオーディション番組『新しい波8』が放送された。そして、2001年にM-1グランプリが始まった。2000年代は、お笑いで飯を食べていきたい若者たちが、ギラギラした目で限られた席を奪い合う、お笑い戦国時代だったのだ。

 続々と生み出される世に出る機会。自分が掴めなかったチャンスを掴んで、スーパーカーのような速さで売れていく同期。そしておもしろいと思われたいという強い想い。山里のように嫉妬に狂い、若林のように惨めさで気が狂いそうになっても、無理もない話だろう。その気になれば自分もテレビに出られるんじゃないかと期待し、裏切られ、落ち込み、嫉妬する。他のコンビに負けたくないという気持ちが、溢れ出る。2000年デビュー組は、特にハングリー精神が強い世代であったと言えるだろう。

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