『だが、情熱はある』戸塚純貴演じる春日が面白すぎる 髙橋海人の相方である必然性

 何かと意表を突いた、それでいて不思議としっくりくるキャスティングが見事な『だが、情熱はある』(日本テレビ系)。

 オードリーの若林正恭を髙橋海人(King & Prince)が、南海キャンディーズの山里亮太を森本慎太郎(SixTONES)が演じるとなれば、気になるのはそれぞれの相方役を務めるのは誰かということだろう。

 オードリー・春日役を演じているのは戸塚純貴。オードリーの2人は中学校時代からの同級生であることは知られているが、本作では彼らの高校時代からの姿が描かれる。

 やけに背筋の伸びた姿勢と、よく響く低くて良い声、なんだか少しイラッとしてしまう敬語。しかし当人はごくごく自然に生活しており、真面目に振る舞っているだけなのに意図せず面白くなってしまう春日特有の“変態性”とも言えるオリジナル要素を、学ランに身を包んだ戸塚は一瞬で身にまとう。登場した瞬間、これが高校時代の春日だとすぐにわかった。何ら大きな事件が起きない彼らの地味でうだつの上がらない青春も、画力が強く存在が既にキャッチーな春日がいるだけでなんだか笑えてしまう。

 髙橋もまた、何もかもが退屈で、そんな退屈に埋もれてしまっている自分自身が一番退屈で、鬱屈とした青春時代を過ごす若林が纏う特有の気怠さや屈折した低体温な雰囲気を見事に醸し出している。そんな若林がなんだかんだ一緒にいる相手に春日を選ぶのも頷ける。打算も計算も見栄もなく、何かをジャッジしたり自身の判断基準を持ち込むことのない春日には、安心して自身のくだらなさを出せたのかもしれない。何をしても驚かず動じず裏がない。社会の“正しさ”を持ち込むこともなければ優劣を意識するようなところもない春日の前では、ほんの一瞬素直になれたのかもしれない。戸塚演じる春日の飄々とした “聞きすぎない/耳を傾けすぎない”姿勢が、絶賛人生に迷子で、家では父親(光石研)から何事も頭ごなしに決めつけた物言いをされてしまう若林にとっては心地良かったのかもしれない。

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