石ノ森章太郎愛溢れる『シン・仮面ライダー』 昭和ライダー世代に刺さる“本当のカッコよさ”

 庵野秀明が監督した『シン・仮面ライダー』。庵野秀明の描く仮面ライダーは、スタイリッシュでカッコよくて、でも悲しく、儚く、かわいくて、愛おしかった。本作からは、庵野秀明が仮面ライダーを「好き過ぎる」ということが、十二分に伝わった。

『シン・仮面ライダー』は昭和ライダー世代に突き刺さる

「いまさら仮面ライダーでもないよな~(笑)」

 ツレとそんなことを話しながら繫華街を歩いていたら、突然眼前に身の丈2mぐらいの庵野秀明が立ちふさがり、胸ぐらを掴まれたまま居酒屋に連れ込まれる。「昭和ライダーがいかに素晴らしいか。そして、いかにかっこよくも悲しいヒーローなのか」泣きながら語る庵野秀明の話を、正座したまま聞かされる僕たち。やっと解放された時にはもう朝になっており、勘定もワリカンで、這うようにして家にたどり着く。そのまま寝てしまおうかと思ったが、その前にサブスクで、記念すべき昭和『仮面ライダー』の第1話を観てみようか……。

 『シン・仮面ライダー』はそんな映画だった。庵野秀明の昭和ライダー愛、引いては原作の石ノ森章太郎愛で、むせ返りそうだった。だから筆者のように昭和ライダーで育った世代には、深く突き刺さった。

『シン・仮面ライダー』追告

 石ノ森漫画は悲しくて儚い。カッコいいが、悲しくて儚いのだ。『サイボーグ009』も『人造人間キカイダー』も。もちろん『仮面ライダー』もそうだ。

 この悲しさの根幹にあるものは、“人外の悲しみ”だ。突然人外(改造人間)にされてしまった仮面ライダーや009。生まれつき人外(アンドロイド)のキカイダー。特にキカイダーでは、その人外の悲しみを度々ピノキオになぞらえている。

 仮面ライダー・本郷猛(池松壮亮)は、ショッカーの戦闘員との最初の戦いにおいて、彼らを次々と撲殺する。ただ殴っただけなのに、頭部がスイカのように潰れていく。この残虐描写により、この作品はPG12指定となり、作品の評価自体が賛否両論分かれる原因のひとつにもなった。だが、この描写は圧倒的に正しい。「自らの何気ない攻撃が、いとも容易く人体を破壊してしまう」という事実に、本郷猛は苦悩するのだ。これを時代劇の殺陣のような、形式上のものにしては意味がない。

 原作においても、改造直後の本郷猛が逃走のために戦闘員を殴ると、いとも簡単に首の骨が折れて死んでしまうという描写がある。オリジナルのTV版ではあまり描かれなかったこれらの要素から、逃げずにキッチリ立ち向かった庵野秀明は、石ノ森章太郎に対して真摯で誠実だ。

 個人的には、ライダーキックがオーグ(改造人間)の体を貫通している描写が気に入っている。筆者がグロ趣味というわけではない。子供の頃、「そんなかすったような当たり方で改造人間が死ぬか?」と思いながら観ていた。もしかすると、庵野少年も同じことを思っていたのかもしれない。今作のライダーキックは凄まじかった。殺傷力に溢れており、とにかく痛そうであり、「そりゃ怪人も死ぬわ」という説得力に溢れていた。

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