『エブエブ』が席巻した第95回アカデミー賞の特徴を検証 “優しさ”を渇望した社会の反映に
4. 支持の鍵は“共感と連帯”
そのジェイミー・リー・カーティスは、助演女優賞受賞スピーチで、「We just won the Oscar!(私たちはオスカーを受賞しました)」と連呼している。“We”は『エブエブ』のスタッフとキャストであり、家族であり、仕事仲間であり、ともにオスカー候補になりながら受賞が叶わなかった父母、そして「私が出演したジャンル映画をずっと応援してくれた何千何万のすべての人たち」。賞レース序盤ではノミネート候補にも入っていなかったカーティスが終盤に勢いを増して巻き返したのは、連帯感とPay It Forward精神(自分が受けた恩を後進に送る恩送り)にある。共演者のミシェル・ヨーやキー・ホイ・クァン、ステファニー・スーのチアリーダーになり、ダニエルズを母親のように支え、『エブエブ』チームをひとつにしたのは、ひとえにカーティスの牽引力に他ならない。A24はオスカー直後に、『エブエブ』の歌曲賞ノミネートのデヴィッド・バーンが率いたトーキング・ヘッズのライブ・ドキュメンタリー『ストップ・メイキング・センス』(1984年、ジョナサン・デミ監督)の4Kリバイバル上映を発表。デヴィッド・バーンがランドリー店で象徴的なビッグスーツを受け取る予告編は、『エブエブ』の世界を引き継ぐ粋な演出。
一方、インド代表作品に選ばれず国際長編映画賞の枠を逃した『RRR』は、口コミやSNSで話題となり、「Naatu Naatu」が歌曲賞を受賞。リアーナ、レディー・ガガ、そして飛ぶ鳥を落とす勢いの『エブエブ』のMitskiとデヴィッド・バーン、ライズボローと同質のキャンペーンでノミネート枠を死守したダイアン・ウォーレンといった強豪に囲まれながら、M・M・キーラヴァーニとチャンドラボースが見事オスカー像を手にしている。受賞スピーチではカーペンターズの曲が大好きだと言い、「Top of the World」の替え歌でS・S・ラージャマウリ監督への感謝や喜びを伝えた。そして、それを知ったリチャード・カーペンターと家族が「Top of The World」のアンサーソングを贈っている。これこそが、クリエイター同士の共感と連帯を表す美しい瞬間である。
5. ハリウッドの未来を創る賞
ジミー・キンメルは、監督賞候補から漏れたジェームズ・キャメロンを、「投票者は彼を女性だと思ったのでしょうか?」と二重の意味でジョークにした。過去に9回の監督賞を含む22回アカデミー賞にノミネートされているスティーヴン・スピルバーグが前回監督賞を受賞したのは、1988年の『プライベート・ライアン』。昨年は『ウエスト・サイド・ストーリー』、そして今年は半自伝的作品の『フェイブルマンズ』を監督し、長年ハリウッドを盛り上げてきた彼のキャリアを祝福し監督賞が授けられるのではないかという予想があった。だが、受賞したのは長編監督2作目のダニエルズ。これは世間がオスカーを色眼鏡で見ていた証拠で、過去5回の監督賞受賞者を振り返ると、ギレルモ・デル・トロ(2018年)、アルフォンソ・キュアロン(2019年)、ポン・ジュノ(2020年)、クロエ・ジャオ(2021年)、ジェーン・カンピオン(2022年)と、アメリカ以外を出自とする監督が並ぶ。ダニエルズは2017年のデイミアン・チャゼル以来のアメリカ出生監督の受賞となった。
過去の受賞者の例からもわかるように、オスカー監督賞は功労賞ではなく、「これからのハリウッドを盛り上げてくれそうな監督」に授けられている。それは、アカデミー賞に投票するAMPAS会員はすべて映画に関わる職業人だから。ハリウッドの興盛は彼らのやりがいや食い扶持に直結する。『エブエブ』のようなSF、コメディ、アクションというジャンル映画三つ巴作品が1億ドル以上の興行成績を記録し、1年間にわたって人々の話題にのぼり続けた奇跡は、今後のハリウッド映画の可能性を感じさせる。
6. 優しさの時代とメンタルヘルス
『エブエブ』のプロデューサーで、台湾系アメリカ人のジョナサン・ウォンが、受賞後のインタビューでこの映画の真髄を語っている。「すべてがカオスにもかかわらず、最後には温かい抱擁で終われる映画を作りたかったのです。ここ(プレスルーム)にいる私たちはみんな、エンターテインメントや情報に携わる仕事をしています。時に、毒気をはらむ仕事は、メンタルヘルスの問題を引き起こすことがあります。また時には、美しい光の道筋を植え付けることもできます。ここにいるすべての方々におすすめしたいのは、記事の先には読者がいて、メンタルヘルスに影響を与える恐れがあると認識すること。だから私たちは良い映画を作り、最終的に善良さに導くことができる映画を作ることに人生を捧げています。(この受賞で映画が)注目を集めるだけでなく、その結果良い連鎖反応が起きることを願っています」。
ミシェル・ヨーが演じたエヴリンはもともと、ADHD(注意欠如・多動症)のキャラクターとして設定されていた。ダニエル・クワンはキャラクターのリサーチを進めるうちに初めて自身の特徴に気づき、心療内科でADHDと診断されたという。脚本賞の受賞スピーチでは、インポスター症候群(自身の才能や成功を肯定できず、過大評価と感じる心理傾向)を認め、「私は自分のことを脚本家だと思ったことはありません。自分は評価に値するほど優れていると思ったこともありません。自尊心に問題があるのです。(中略)私を物語の語り部としてこの場に立たせてくれた人々に感謝しなければなりません」と語っている。昨今の作品にはメンタルヘルスの問題を扱う作品が増えていて、このような作品がアカデミー賞を受賞し、世界で1億ドルの興行成績を収めたのは、現代社会の写し鏡と言えるのではないだろうか。
この数年間で起きていること、終わらない戦争、パンデミックで仕事を失い、経済破綻によるレイオフ(一時解雇)の恐怖に怯え、激動の時代を生きる観客に対し、エンターテインメントができることを突き詰めると、優しさの後味を残す映画になった。A24史上No.1の1億ドル超えの興行成績、主要6部門独占のオスカー史上初の記録、そして誰もが『エブエブ』が作品賞を獲ると信じて疑わなかった予想を含め、この大記録は“優しさ”を渇望した社会の反映と言えるのではないだろうか。その「優しさ」は、アカデミー賞のバックステージで抱き合い頬を寄せ合う『エブエブ』のキャストたちの姿が醸す多幸感に表れていた。
参照
※1. https://www.thewrap.com/paul-schrader-oscars-commentary-slams-woke-agenda/
※2. https://www.hollywoodreporter.com/movies/movie-news/2023-oscars-diversity-international-winners-1235354591/