『鎌倉殿の13人』とは何だったのか “死”にドラマを見出した三谷幸喜の構成力

 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が終わった。私たちはいまなお余韻に浸り続けている。従来の大河ドラマでは定番だった英雄たちの胸のすくような活躍や派手な合戦シーンが描かれていたわけではないのに、このドラマの何がこれほどまでに私たちを惹きつけたのだろうか。公式サイトには、脚本を担当した三谷幸喜のコメントとして、「頼朝が生きているときからパワーゲームが半端じゃなく、誰が裏切るのか全くわからないので、毎回本当に手に汗握りながらワクワクして見ていただけると思います」という文章が掲載されている。(※)

 たしかに「昨日の友は今日の敵」という言葉がこれほど当てはまったドラマも珍しい。小栗旬演じる主人公の北条義時は、武将というより冷徹な政治家だった源頼朝(大泉洋)の影響を受け、最高権力者に上り詰めるまでに邪魔者に謀反の汚名を着せては次々と粛清していく。しかしその過程は、三谷流の笑いが随所にまぶされていたとはいえ、パワーゲームとして楽しむにはあまりに血なまぐさかった。私たちはいったいなぜ日曜日の夜を毎週待ちわびたのだろうか。ここでは、『鎌倉殿の13人』とは何だったのかを改めて考えてみたい。

「鎌倉殿と13人」

 まずはタイトルの話から始めよう。鎌倉幕府の「13人」と言えば、一般的には、頼朝の死後、若くして二代目鎌倉殿となった源頼家に代わって訴訟を扱うために、宿老と呼ばれる有力御家人たちによって組織された合議制を表わす。実際、第27回で合議制の話が持ち上がり、当初想定されていた5人から13人に増えていくプロセスをテロップで番号を振りながら示し、頼家(金子大地)の前に北条時政(坂東彌十郎)・義時親子ら13人が集結した。さあここから13人の物語が本格化するぞ、と思われた瞬間である。ところがこの13人が揃ったのはほんの一瞬に過ぎない。翌週の第28回では早くもその一角である梶原景時(中村獅童)が御家人たちの連判状によって弾劾され、追討されて死ぬ。第29回になると長老格の三浦義澄(佐藤B作)と安達盛長(野添義弘)が病死してさらに人が減ってゆき、比企能員(佐藤二朗)は「もはや宿老たちの協議はあってなきようなもの」とぼやく。ここでおいおい!と思った視聴者も少なからずいたのではないか。13人の宿老たちの物語ではなかったのか、と。ついでに言っておくと、13人の合議制が発足した第27回のサブタイトルは「鎌倉殿と十三人」だった。三谷幸喜らしく人を食っている。では『鎌倉殿の13人』というタイトルは何を意味していたのだろうか。

死者たちの物語

 それが明かされるのが、なんと最終話である。最終話の終盤で、3人目の妻・のえ(菊地凛子)に毒を盛られて衰弱した義時は尼将軍となった姉の政子(小池栄子)に対して「それにしても血が流れすぎました。頼朝様が亡くなってから何人が死んでいったのか」と語りだし、「梶原殿、全成殿、比企殿、仁田殿、頼家様、畠山重忠、稲毛殿、平賀殿、和田殿、仲章殿、実朝様、公暁殿、時元殿」と死んだ者たちの名を挙げる。そして「これだけで13」と言うのである。ここに来て、私たちはようやく「鎌倉殿の13人」の本当の意味を知ることになる。これは死にゆく者たちの物語であったのだ、と。

 だからこそこの物語の総仕上げとして、主人公である義時は死ななければならなかった。それも思いがけない死に方で。政子のすすり泣きの声でフラックアウトするエンディングは、私たちの心を震わせた名シーンとして大河史上に刻まれるだろう。

 最終話のサブタイトル「報いの時」は、義時の死がなんらかの報いであることを示唆している。一見、息子の頼家の死に義時が加担していたことを知った政子の復讐であるかのようにも読み取れるが、そうではない。政子は終始一貫してブレない存在であり、決して報復のためにダークサイドに堕ちる人間ではないからだ。政子はむしろ義時の手をこれ以上汚させないために薬を捨てたのである。義時が受ける「報い」は、義時が加担してきた13の死の報いであろう。その意味で、これは義時の死に向かって緻密に構築されたドラマだったのである。

 まずは死者たちのドラマという視点からこのドラマを振り返ってみよう。

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