ミニシアターブーム再検討から、宇野維正×森直人がシャンタル・アケルマン再評価を紐解く

 セレクトされた良質な作品だけを配信するミニシアター系のサブスク【ザ・シネマメンバーズ】では、11月より新たにシャンタル・アケルマンの『私、あなた、彼、彼女』『アンナの出会い』『囚われの女』『オルメイヤーの阿房宮』の4作品が配信されている。今回の配信を機に、映画・音楽ジャーナリストの宇野維正と映画ライターの森直人が、再評価され注目が集まるアケルマン作品について語り合った。

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日本におけるミニシアターブームに欠けていたピース

『アンナの出会い』©Chantal Akerman Foundation

――今回のお題は、シャンタル・アケルマン監督ということで……これまでの連載で取り上げてきた監督とは、少し勝手が異なるところがありますよね。

宇野維正(以下、宇野):そうだよね。この連載は、これまでわりと、90年代のミニシアター最盛期を20代で体験した我々が、日本におけるその「受容史」みたいなところも含めて語ってきたところがあるけれど、アケルマンに関しては、その「受容史」が、ほぼほぼないっていう。

森直人(以下、森):我々のアケルマン体験自体、まさに「いま」の話ですからね。今年の春に、今回の4作品に彼女の代表作である『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』(1975年)を加えた5作品が、日本で特集上映されて……これが大ヒットしたっていう。そのあと、結構全国を回っていたみたいだし、多分今もどこかの映画館でやっていますよね。それぐらい好評だったっていう。だから、日本においては、「再発見」というよりも、このタイミングでようやく一般に「発見」されたみたいなところがあったんじゃないかな。それ以前は、アンスティチュ・フランセやアテネ・フランセの上映、あるいはフランス映画祭辺りを追いかけていないとなかなか観られなかった。

宇野:自分がアケルマンを強く意識するようになったのは、今年の特集上映のちょっと前のことで……2021年の5月に、Netflixでアジズ・アンサリの『マスター・オブ・ゼロ』のシーズン3『愛のモーメント』の配信がスタートしたじゃない。そのときに彼が、自分のInstagramのアカウントに、『愛のモーメント』を作る際にインスパイアされた映画10本を挙げていて。その筆頭に、アケルマンの『ジャンル・ディエルマン~』が挙げられていたんだよね。小津安二郎の『東京物語』(1953年)や、イングマール・ベルイマンの『ある結婚の風景』(1974年)と並んで、それが挙げられていたっていう。まあ、『愛のモーメント』は、レズビアンカップルの生活を淡々と描いた作品だから、もうまさにアケルマンなんだけど。

――アケルマン再評価の機運は、その頃から高まっていたと。

宇野:そうそう。「なるほど、若い北米の作家にもアケルマンが再発見されているタームなのか」って、当時思ったから。

森:そういえば先日、英国の映画誌『サイト&サウンド』が10年に1度のペースで企画している世界映画のオールタイムベスト100が発表されたんですけど、なんと第1位が『ジャンヌ・ディエルマン~』だったんですよ。これは率直に驚きました。だって第2位がヒッチコックの『めまい』(1958年)、第3位がオーソン・ウェルズの『市民ケーン』(1941年)、第4位に小津の『東京物語』ですからね(笑)。ちなみに前回、2012年発表の史上ベストだと『ジャンヌ・ディエルマン~』は36位。つまり10年前から再評価の流れはすでにあったわけですが、とりわけ近年ジャンプアップを果たしたことになる。となると、やっぱり「#MeToo」以降のフェミニズムの流れが大きいですよね。長らく男性優位で語られてきた映画史を、新しくジェンダーの視座から読み直そうっていう。その流れの中で、アケルマンが重要な先駆者として浮上してきた。特に日本の場合は、こういった映画史の読み直しがコロナ禍で加速したような印象もあるんですよね。

『囚われの女』©Corbis Sygma - Marthe Lemelle

――というと?

森:2020年の秋に、グッチーズ・フリースクールさんがケリー・ライカート監督特集を企画されたじゃないですか。その好評を受けて、去年(2021年)の夏にも「ケリー・ライカートの映画たち 漂流のアメリカ」という特集上映も組まれた。世代的にはアケルマンが1950年のベルギー生まれで、ライカートは1964年生まれの米国人だから、出自はまったく違うんだけど、同じく世界的な評価のわりに、リアルタイムでは日本にちゃんと紹介されてこなかった作家で。あと、今年の夏には、バーバラ・ローデンの『WANDA/ワンダ』(1970年)の上映があって、これもしっかりお客さんが詰めかけたんですよね。

――いずれも、これまで日本では、あまり大々的に紹介されてこなかった女性監督であると。

宇野:でもまあそれは、それだけ今、新作を上映している映画館に人が入ってないことと、背中合わせだと思うけどね。コロナ禍に入ってから、新作の外国映画の興行は本当に苦戦しているから。その一方で、いわゆるレトロスペクティブ系の特集上映は、結構お客さんが入っているっていう。

森:それこそ、以前この連載でも取り上げたウォン・カーウァイの特集上映も「かつてのミニシアターブーム再来か!?」ぐらいの勢いで、えらく盛り上がっていましたよね。

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――ただ、アケルマンの場合は、リバイバル上映ではなく、この規模で上映されることがほとんど初めてだったにもかかわらず、これだけ支持されたというのが結構重要なことだと思っていて……。

宇野:そう。だから今回、ここで自分がひとつ問題提起というか、言っておきたいのは、90年代のいわゆるミニシアター全盛の頃っていうのは、アメリカに限らずヨーロッパやそれ以外の国の作品も含めて「日本がいちばん世界各国の映画を観ることができた」とか「文化的感度が高い国であり時代だった」みたいな言説があるじゃないですか。まあ、この連載も、ある種それを強化してきたところはあるんだけど……。

『オルメイヤーの阿房宮』©Chantal Akerman Foundation

――(笑)。ただ、その中に、アケルマンは、入ってなかったわけで……。

宇野:アケルマンもそうだけど、そこに欠けていたピースっていうのは、実はたくさんあって。実際、アケルマンの映画は、日本でもそこそこ知名度があって人気もある、トッド・ヘインズだったり、ガス・ヴァン・サントだったり、ミヒャエル・ハネケだったりという映画作家たちにずっと参照されてきたわけで。そのことを、彼らはちゃんと公言もしてたよね?

森:うん、まさに。

宇野:改めて思い返してみると、90年代までのミニシアターブームの頃って、実は女性監督の作品が、ほとんど紹介されてなかったんだよね。唯一、アニエス・ヴァルダだけが紹介されていたように思うけど、それだってヌーヴェルヴァーグとかジャック・ドゥミ、あとゴダールとの関係性の中で語られてきたようなところがあって。そういう意味では、「ミニシアターブームの頃は、文化的に豊かだった」っていう言説自体、ちょっと再検討する必要があるのかもしれないよね。

――ちなみに、アニエス・ヴァルダは1928年生まれなので、世代的にはちょっと上になりますけど、アケルマンと同じ、ベルギーのブリュッセル出身なんですよね。

森:まさに、同郷の先輩後輩じゃないですか(笑)。それは気づかなかった。でも、今回の話は、結局宇野さんがおっしゃったように「ミニシアターブームの再検討」ってところに行き着くと思うんですよ。確かに当時の日本には、いろんな国の映画が入ってきたように思っていたし、多様性や豊かさの記憶と共に語られがちなミニシアターブームだけど、実はあくまでも当時の文化的なトレンドに沿ってセレクトされたものであり、それなりに偏ったラインナップだったってことですね。

宇野:実際、偏っていたし、特に女性の作家に関しては、アケルマンをはじめ、明らかな取りこぼしがあったっていう。

森:批評の世界だって、圧倒的に男性優位で回っていたことが今になってよくわかる、ということですね。だから1932年生まれのバーバラ・ローデンという、ジョン・カサヴェテスと同時代的に凄い映画を撮っていた伝説の作家が、アケルマンやライカートと接続されるような新しい受容体系を形成して、当時取りこぼしてきたものがここへきて浮上しているのは、すごく重要なことだと思います。

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