『すずめの戸締まり』はなぜ東日本大震災を描いたのか 『君の名は。』ブームの決算に

 つまり、日本人の多くが潜在的に感じていた気持ちを掘り起こし、ある種の“癒し”を作り出したことが、『君の名は。』が国民的な作品となった主たる要因だったのかもしれない。そう考えれば、坂本龍一の「energy flow」ヒットの主要因もまた、日々忙しく人々を癒すようなCM映像とともに流れたことにあったのだと感じられる。その時期における日本人の直面する現実を慰撫する表現が、「国民的」な位置に作品を押し上げていたのではないか。

 『君の名は。』ブームと、その余波の中心に居続けた新海監督が、そのことに気づいていないはずがない。だからこそ『すずめの戸締まり』は、そんな『君の名は。』ブームの決算として、その中核でありながら、具体的には言及されていなかった“空洞”であった東日本大震災を扱うという選択に至ったのだと考えられる。

 その表現の多くは、スタジオジブリが国民的存在となった以降の、日本の代表的な劇場アニメーションの手法で描かれている。いまでは「ジブリ飯」と呼ばれるようになった、魅力的に描かれる食事に代表される、高畑勲、宮﨑駿の過去作品に見られる日常シーンの充実を基礎に、『魔女の宅急便』(1989年)のパロディや、『もののけ姫』のタタリ神を連想させる、地震を発生させる「ミミズ」のイメージと、その消滅時における『新世紀エヴァンゲリオン』の演出へのオマージュなど、これまでのアニメーション作品からの影響が、分かりやす過ぎるほどに露骨に表現されている。

 とくに『新世紀エヴァンゲリオン』は、新海監督の初の劇場公開作品『ほしのこえ』(2002年)に絶大な影響を与えていることからも分かるように、本作は自身の作家的なルーツをも、衒いなく見せているように感じられるのだ。では、新海作品の表現上のオリジナリティはどこにあるのかというと、やはり細部の緻密な描写と多重的なエフェクトにあるだろう。

 本作の技術的な点でとくに印象に残ったのは、作画部分だ。平面的でポップな傾向を持つ現代的に流行する表現よりも、ときどき“劇画調”を感じるまでに立体的な絵柄が、目に心地よいのである。これは『君の名は。』にも参加している、作画監督の土屋堅一の色合いが、より濃く反映された結果ではないだろうか。何にせよ、普段日本のアニメーションに触れていない観客や、おそらくは海外の観客にも受け入れやすいバランスになっているのは、評価できる部分である。それが職人的な高いクオリティで繊細な動きを見せるのだから、品質の高さには目を見張るものがある。

 脚本上でも、誰にも知られず災害を食い止めるという、聖人かのような役割を引き受ける鈴芽や草太のキャラクターに対し、鈴芽の叔母や、草太の友人の青年、スナックのママなど、よい意味で人間くさい俗っぽさを感じさせる登場人物たちを配置しているのも、よく考えられていると思える部分である。親しみやすいキャラクターによって示される、各地で老朽化し、放置されている家屋や施設がある状況も、テーマの一つだと見られる。

 実際の震災を題材にしていることもあり、かなり表現には気を遣っていて、少々窮屈さを感じられるほどに展開やセリフが考えられているところにも好感を持つ。筆者は、前作『天気の子』の評において、人を助ける作業のなかで愛の告白をすることに対して苦言を呈した。本作の製作者がそれを読んでいるとは思わないが、本作ではまさにその点が修正されていたのも、物語づくりにおける誠実さを覚えた部分である。

 一方で、『君の名は。』や『天気の子』を含め、現在に起こり得る、起こってしまった災害を、実際には存在しない神話的なファンタジーに置き換える表現について、それに涙を流し、なにがしかの癒しを得るという、映画作品が要請する一連の流れに参加することについて、少なくとも筆者がためらいを感じてしまうことも事実だ。

 劇中で表現される、宮城県の沿岸部に残った、無数の家屋の基礎部分が広がる光景は、土地では日常的に目にするものだ。さらにクライマックスでは、闇のなかに広範囲の炎が広がり、大きな船が陸に乗り上げているイメージが採用されている。

 これは津波によって東北地方を中心とする沿岸部を想起させると同時に、とくに、漏れ出した重油や家屋のプロパンガスが次々に引火し、鎮火までに12日間もかかった宮城県気仙沼港の津波火災を想起させられるものだ。まさに住民にとって、この世の終わりのような、想像を絶する悲痛な景色であり、実際に存在する被害者の体験に近い光景であると思われる。このSFファンタジーのフィルターを通した“スペクタル”と、実際の被害の悲しみを癒すようなメッセージを、本作の観客として、どう消化すればよいのかについては、まだ自分のなかで結論が出せていない。

参照

※1.『すずめの戸締まり』入場者プレゼント「新海誠本」より

■公開情報
『すずめの戸締まり』
全国公開中
原作・脚本・監督:新海誠
出演:原菜乃華、松村北斗、深津絵里、染谷将太、伊藤沙莉、花瀬琴音、花澤香菜、松本白鸚
キャラクターデザイン:田中将賀
作画監督:土屋堅一
美術監督:丹治匠
音楽:RADWIMPS、陣内一真
主題歌:「すずめ feat.十明」RADWIMPS
制作:コミックス・ウェーブ・フィルム
制作プロデュース:STORY inc.
配給:東宝
©︎2022「すずめの戸締まり」製作委員会
公式サイト:https://suzume-tojimari-movie.jp/
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