CGアニメーション作品『スター・ウォーズ:テイルズ・オブ・ジェダイ』に存在する裏テーマ
続く第3話では、ジェダイ殺害事件の捜査に向かうドゥークーの物語が描かれる。ともに任務を遂行するのは、メイス・ウィンドウ。ここでなんと、ドゥークーとウィンドウという、ジェダイ・オーダー最強クラスのコンビの活躍が見られるのである。しかしこの事件の解決は、ドゥークーのジェダイ・オーダーへの不満が、より深まる結果にもなってしまう。
ジェダイ評議会を尊重し、責任感が強いウィンドウは、その姿勢と能力が評価され、評議員に出世していく。一方、ドゥークーは正義感や共感性がジェダイのなかでも強いために、しばしば任務に外れた行動をとってしまい、能力が十分ながらも評価を落としている。ここから生まれる組織への不審と疎外感は、後のアナキン・スカイウォーカーの心理に近いものがあるといえるだろう。
そしてドゥークーは、アナキンがそうであるように、揺れる心をシスの暗黒卿に利用され、ダークサイドへと堕ちていくこととなる。この顛末を考えるならば、自分の心を抑え執着心を捨て去ることを正しい生き方だとする、ヨーダなど評議会の主張は、ジェダイがダークサイドに踏み入ることを抑止するという意味では間違っていないのだろう。
しかし、そんな正しい道を進んでいたジェダイたちが、「エピソード3」で描かれた、機密指令「オーダー66」の発動によって、ほとんど全滅してしまったのも確かなのである。これはある意味で、ジェダイ一人ひとりが、その意志をジェダイ評議会に委ね、自分の頭で考える姿勢を忘れてしまった結果ではないのか。
ジェダイたちは正しい道を進んでいると思っていても、そのトップである評議会自体が悪の勢力の策動に乗せられてしまえば、ジェダイ全員が悪を助けるために動くことになってしまう。つまり、ジェダイたちは本質的に、権力に利用されるクローン兵士に近しい存在になってしまっているのだ。その意味では、ドゥークーやアナキンのように反逆的な姿勢を持つジェダイも組織には必要だったのではないだろうか。
第5話では、それを裏付けるようなエピソードが描かれる。ある日アナキンは、パダワンのアソーカにあまりに過酷な特訓を課す。それは、四方八方からクローントルーパーのブラスター攻撃を受けるという、多くのジェダイたちが行っていない高難度の独自トレーニングだ。まさに“対オーダー66”といえるような内容であり、この経験があったからこそ、アソーカは粛清の時代を生き延びられたのだと考えられる。
この特訓を考案したのが、後にジェダイを裏切ることになるアナキンだったという点が重要だ。組織が求める訓練の内容を超え、想定以上の危機に対処するという姿勢は、実際にそのような危機が起きるまでは無駄であり、ほとんど評価されることのない徒労だろう。だが、この後の悲劇を考えれば、じつは全てのジェダイがこの特訓を受けるべきだったことが理解できるだろう。ジェダイ評議会への信頼が比較的薄く、自分の判断を優先させるアナキンだからこそ、このような発想ができるのだ。
本シリーズの脚本を書いたデイヴ・フィローニは、この数々のジェダイのエピソードに、“組織と個人の関係”という、現実の社会に重ねられる問題を描こうとしたのではないだろうか。たしかに、組織を動かすのはそれを支える個人の努力や献身に他ならない。しかし、いったん組織が誤った方向に進みだしてしまったら、それを止める者たちが必要になるのである。
会社でも、家族でも、国家でも同じことがいえる。それを構成する個人個人が、自分の頭で考え、ときに組織の意志に反する行動をとることが、組織自体を救うことになるかもしれない。だからこそ、組織の側も多様な意見や考え方を尊重し、目先の利益や見せかけの正しさでなく、大きな理念を守り、人間性を基盤とした判断をしなければならないはずなのである。
この見事なテーマは、デイヴ・フィローニだけが設定したものではない。ジェダイ・オーダーの滅亡を通して、組織の問題を描くというテーマは、すでにジョージ・ルーカスの新三部作のなかに包含されていたといえるからだ。フィローニは、その側面を強調し、このような考えを深めるシリーズとして、『スター・ウォーズ:テイルズ・オブ・ジェダイ』を製作したということだろう。その意味で本シリーズは、新三部作の価値をまた見直すきっかけになる作品になったともいえそうだ。
■配信情報
『スター・ウォーズ:テイルズ・オブ・ジェダイ』
ディズニープラスにて独占配信中
©︎2022 Lucasfilm Ltd.