『天空の城ラピュタ』に見る宮﨑駿監督の“譲れない部分” 抑えておきたい名シーンの意味

『天空の城ラピュタ』宮﨑駿の譲れない部分

 1986年に公開された宮﨑駿監督作品『天空の城ラピュタ』。親方のもとで見習い機械工として働く少年パズーが、ある日空から降ってきた不思議な少女シータと出会い、亡き父親が言い遺した伝説の空に浮かぶ島への冒険に踏み出す物語は、劇場に足を運んだ子どもだけでなく大人も世界観に引きこみ魅了した。

 夏休みに入った8月、『金曜ロードショー』(日本テレビ系)で恒例のスタジオジブリ作品放映企画が開始。第1弾として『天空の城ラピュタ』が8月12日に、追って『となりのトトロ』が19日、『耳をすませば』が26日に放送される。

 本コラムでは、不朽の名作とされる『天空の城ラピュタ』に描かれたストーリーやキャラクターに改めて視点を置きながら、宮﨑駿監督が描きたかったもの、そして作品を通して伝えようとしたメッセージについて綴っていく。

 まず特筆すべきなのは、本作が宮﨑駿作品の中でも屈指の“冒険活劇”である点だ。冒険家の父親のもとに生まれた息子・パズーが、父の見た伝説の島を語るシーン。空賊ドーラたちが見せる豪傑さと野蛮さ。暗闇の中で光り、道を指し示す謎めいた飛行石。こうしたディテールのひとつひとつが、本作を胸躍る冒険譚に仕上げている。

 どこにあるかも分からない空に浮かぶ島を目指し、さまざまな人々との出会いと別れを経て勇敢に歩んでいくパズーとシータの姿は、まさに冒険活劇の主人公としての少年少女に相応しい。そして彼らの周囲にいる人物たちも、子どもの頃の好奇心を忘れていない。大人になっても心は永遠に少年もしくは少女のままなのだ。

 大人になった今、本作を観ると、大人たちの目線でパズーたちの行く先を見守っている自分がいることに気づく。そういった意味で、子どもの頃には気づけなかったノスタルジーの匂いが立ち上ってくる作品であり、“童心に返る”というジブリ作品に顕著な感情を抱く作品でもある。

 宮﨑駿監督は公式パンフレットで、本作を通じ「子どもたちの心へ語りかけたい」と語ったが、その声は大人たちの心の中に今でも生きている“少年少女だったころの自分”にも伝わるのではないだろうか。

 シータとパズーの出会いは鮮烈だ。飛行石を狙う政府の特務機関から逃れようと、飛行船から落下したシータは、地上にいたパズーに受け止められる。空から降ってきた少女を受け止める少年。この構図は象徴的な名シーンであり、映画ポスターのビジュアルにも使用されている。

 ヒーロー(主人公)のもとにヒロインが劇的な登場の仕方でやってくるという構図は、宮﨑駿監督としてのデビュー作『未来少年コナン』にも共通して見られる。荒廃し誰もいなくなった無人島で悠々自適に暮らしていた主人公コナンのもとに、突然ヒロインのラナが現れ物語が大きく動いていく。この流れは『天空の城ラピュタ』における起承転結の“起”と限りなく似つかわしい。印象的なヒロインの登場が起点となり、世界観を印象づけさせ、ストーリーを動かすというセオリーは、宮﨑駿監督が冒険譚を描く上で軸としている“譲れない部分”なのだろう。

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