『ちむどんどん』を通して考える戦争の記憶 “沖縄と本土”を暢子と和彦の関係から読み解く

 “朝ドラ”ことNHK連続テレビ小説『ちむどんどん』の第15週「ウークイの夜」はお盆、久しぶりに比嘉一家がやんばるの家に全員揃い、優子(仲間由紀恵/優希美青)がはじめて子供たちに賢三(大森南朋/桜田通)とのなれ初めを語る。それは辛く悲しい記憶だった。

 戦前、食堂を営む家で育った優子。賢三はそこで働いていた。暢子の料理のセンスと才能は父と母、両方から受け継がれたものだった。

 平和な日々もつかの間、戦争によって優子と賢三の生活は一変。家族を失い収容所にいた優子と、戦場から一時東京にいたがやんばるに戻ってきた賢三は、最初のうちは兄妹のように共に暮らし、やがて夫婦となり、暢子(黒島結菜)たちが生まれた。

 賢秀(竜星涼)の名前は賢三と優子の亡くなった弟・秀夫の秀からとったものであろう。優子が子供たちの行動を自由に任せ続けてきたのは、亡くなった家族たちへの贖罪のようなものだった。謎めいていた優子の言動の理由が紐解かれていく。

 優子は賢三と共に戦争で亡くなった方々の遺骨収集活動も手伝っていて、ひとりになった今も密かに行っていた。いつか時期が来たら子供たちに話してきかせようと思いながら。

 放送と同時にタイトルバックは優子と賢三の若い頃を描いたものだったというネット記事が配信された。縁側に座った後ろ姿の女性は妊娠している優子なのだとか。タイトルバックに本編に繋がるもうひとつの物語を忍ばせていたとは驚いた。そう言われたら、男性は三線を弾いているから賢三と想像できないこともなかったと思う。

 タイトルバックにこのような仕掛けをしているということは優子と賢三の記憶がゆくゆく暢子たちに影響を与えることは織り込み済みだったことになる。おそらく、暢子たちが自由奔放でいささか困ったちゃんな感じに描かれているのも意図的であろう。

 戦争を知らない子供たちが戦争の過酷さを体験した親たちに慈しまれて育つ。貧しいとはいえ、家族の温かみの中で育った結果、やや暢気になった。賢秀のように大きな夢ばかり追ったり、良子(川口春奈)のように問題は博夫(山田裕貴)任せで文句ばっかり言ってたり、暢子のようにやりたいことに一生懸命な自由気ままだったり、歌子(上白石萌歌)のように大きな病気ではないが何かと寝込みがちで引っ込み思案になってしまったりと、四兄妹は戦争時代だったらそんなこと言ってられないというような問題の渦中にいる。それは彼らを責めることではなく、たまたまそういう環境なのであって、彼らは彼らで悩んでいるのだ。

 どんなことがあっても幸せになることを諦めないでほしい。優子の過去の経験に基づいた悲願を聞いた四兄妹はこれまでの自分たちを省みる。お盆の最終日、亡くなった方たちの魂をあの世に送り返す行事・ウークイを行った翌朝、四人はそれぞれの決意を胸に歩き出す。働きたくなった賢秀、博夫の大切さを再認識する良子、民謡教室に通いはじめる歌子。そして、暢子は結婚も仕事も両立させて幸せになりたいと強く決意する。

「幸せになりたくて、なりたくて、ちむどんどんしている」

 そんなとき彼女の傍らには和彦(宮沢氷魚)がいる。何かに呼ばれたように、偶然にも彼の悲願であった遺骨収集の活動を行っている人物・嘉手刈(津嘉山正種)の取材をできることになって急遽沖縄に来ていたのだ。

 嘉手刈から敵襲のなか一緒に逃げた少女の手を離してしまったことが遺骨収集のきっかけであることを聞かされた和彦は、暢子の手を絶対に離さないと手を握る。

 和彦と暢子が少年少女の頃、暢子が最大の不幸に見舞われる出来事があった。賢三が死んで家計が苦しく、東京の親戚の家に暢子がもらわれていくことになり、絶望的な気持ちでバスに乗った暢子。その手を和彦は握った。その前に、暢子が無邪気に手をつなごうとしたときは恥ずかしくて手をはらってしまった和彦が、暢子を守りたいという幼いなりの決意で暢子の手を自ら握ったのだった。

 結局、その手を今度は暢子が解いて、家族の元に戻ったのだが、和彦はその時からずっと暢子のことを大事な存在として意識していたのだろう。

 離れ離れになって文通も途絶え、それぞれの道を歩んだ暢子と和彦。申し分ない恋人(愛/飯豊まりえ)もできた和彦だったが暢子のことはずっと特別な存在であったのだと思う。

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