『エルヴィス』バズ・ラーマン劇場と化したプレスリー伝 トム・ハンクスの必見の怪演も

 エルヴィスと恋人のプリシラが初めてキスするシーンは、窓辺で見つめ合う二人の横からのツーショット、次にエルヴィスの肩越しのプリシラ、プリシラの肩越しのエルヴィス、口づけする瞬間のツーショット、さらにそのちょっとばかり角度を変えたショット……と短時間のうちにせわしなくカットが割られる。「たかがキスシーンで」と言っては失礼だが、ワンカットで済むところをこんなに細かいカット割りで畳み掛けるセンスというものに鼻白む向きもあろうかと思う。でもここは「またやってるよ」と笑い飛ばしつつ楽しむに限るように思う。

 この二人が結婚し、リサ・マリーという一人娘が生まれ、やがて離婚したことは、世界中の人間が知る歴史的事実だから「ネタバレ」といったたぐいではないはずなので書くが、映画の終盤に夫婦の別離シーンがある。空港の滑走路に停めたリムジンの車内と車外の両方での惜別の切り返しは、じつに美しいものだ。映画前半のファーストキスのせわしなさは、あたかも別離の切り返しのねっとりとした美しさ、プリシラ夫人を演じたオリヴィア・デヨングの完璧なメイキャップと衣裳によって映えた美しさをあらかじめ予兆し、そのためにファーストキスでは美の調子をあえて滑稽にしたのではないか。ついでに言うなら、別れたあとにエルヴィスが乗り込むプライベートジェット機の名は「リサ・マリー」であり、このとき9歳のリサ・マリー・プレスリーは「バイバイ、パパ」と無邪気に手を振っていたが、将来はマイケル・ジャクソンと結婚することになる。

 映画『エルヴィス』を最もユニークなものにしているのは、物語の語り手であるエルヴィスのマネージャー、トム・パーカー大佐(トム・ハンクス)がなんとも強欲なペテン師で、ダブついたアゴや太鼓腹、甲高くわめき散らす声で、見ている私たちを不快な気分にさせ続けることだ。歴史の語るところではこのパーカー大佐という人物こそ、エルヴィス・プレスリーの収入を50%も搾取し、彼の薬物中毒を何もせずに放置し、死に追いやった張本人という評価がなされている。そんなパーカー大佐が「私がエルヴィスを殺したのではない。私はエルヴィスを作ったのだ」とうれしそうに宣言することからこの映画が始動する。監督のバズ・ラーマンは彼を「信用できない語り手」だとインタビューで述べている。映画史には、ナレーションやモノローグの語り手が嘘をつくというケースも少ないながら存在するから、バズ・ラーマンの作り出した「パーカー大佐=信用できないナレーター」という構図そのものは画期的というわけではない。

 しかし、この鼻持ちならぬ老マネージャーを、アメリカの正義と反骨精神をいくどとなく体現した現代の名優トム・ハンクスが憎々しげに演じている。トム・ハンクスにここまでやらせていいのだろうかと、いささか居心地悪くなるほどだ。出演場面がかもす醜悪さを目の当たりにするたびに、これに挑んだトム・ハンクスの器の大きさに感動する。事物には美醜の両面がある。エルヴィス・プレスリーほどの巨星ならば、「サタンの書の数ページ」もまた一興なのではないか。アメリカの良心代表たるトム・ハンクスが嬉々として綴る「サタンの書の数ページ」にはバズ・ラーマンの刻印がしっかりと押されている。エルヴィスの赤い靴は黒人音楽であり、そのエルヴィスをオーディエンスがおのおの赤い靴とする。稲妻に打たれたオーディエンスのショック状態がパーカー大佐の赤い靴だ。したがってこの映画は伝記ではなく、死ぬまで踊らされる「赤い靴」という名の依存症の連鎖報告である。

 バズ・ラーマンは、妖しく咲く花びらの数ミリずれたところに溜まる猛毒のしずくを、派手なエンボス型の字幕スーパー、電飾バナー、ハリボテすれすれのセット、豪華な衣裳、装飾品で画面を埋め尽くす。バズ・ラーマンの妻で、セットデザインと衣裳、プロデュースまで兼任するキャサリン・マーティンがラーマン映画を表裏両面から支えている。いや、むしろ私たちはキャサリン・マーティンのきらめく才能にこそ紙数を割いていくべきなのだろう。キャサリン・マーティンがいなければバズ・ラーマンも存在しない。

■公開情報
『エルヴィス』
全国公開中
監督:バズ・ラーマン
出演:オースティン・バトラー、トム・ハンクス、オリヴィア・デヨング
配給:ワーナー・ブラザース映画
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