『私の解放日誌』が描いた「あがめる」と「解放」 復讐劇に対するカウンターに?

 Netflixで配信中の韓国ドラマ『私の解放日誌』が完結して約1カ月。『マイ・ディア・ミスター ~私のおじさん~』の脚本家パク・ヘヨンによるストーリー、セリフの数々は比喩的・哲学的でさまざまな解釈ができ、咀嚼に時間がかかる。あっちから観たり、こっちから観たりと考察をめぐらせるなかで出てきたのは、相対評価に傾倒した社会への疑問と、創作物を受け取る観客の視点を忘れない作家の矜持だった。

 『私の解放日誌』の中心となるのは、ソウルから電車とバスを乗り継ぎ1時間半以上かかる郊外のサンポ市に暮らす、ヨム家の人々。長女ギジョン(韓国リメイク版『最高の離婚』のイ・エル)はマーケティング調査会社、長男チャンヒ(『この恋は初めてだから』のイ・ミンギ)はコンビニエンスストアの本社、次女ミジョン(『都会の男女の恋愛法』のキム・ジウォン)はカード会社のデザイン部署の契約社員として、それぞれソウルに通勤している。家業の建設業と農業の切り盛りに人生を費やす両親、父親の仕事を手伝う本名も素性もわからない寡黙なク氏(『D.P. ―脱走兵追跡官―』のソン・ソック)の6人はいつも一緒に食卓を囲み、3きょうだいの仕事が休みの日は農作業に勤しむ。そしてヨム家の人々を小蝿のように煩わせる、「歯の一本一本に“イヤな女”と書いてあるような」と形容される小悪人たち。いろいろな意味で人生に閉塞感を感じている彼らが、「あがめる」と「解放」をキーワードに、小さな解脱へ進むさまが描かれている。

 映画・文化評論家のキム・ドーフン氏が韓国媒体で書いているように、このドラマは視聴率で目覚ましい好成績を収めたわけではないが、人々の心に深く残る作品だったようだ。

「パク・ヘヨン氏は、トラウマを抱えた登場人物たちが人生で最も底を打った瞬間に新しい人物に会い、その関係を通じて自身の新しい面を発見する過程を描くことに長けている」(※)

 『マイ・ディア・ミスター』では、建築会社に勤める一見エリートのドンフン(イ・ソンギュン)が、ヤングケアラーで前科のあるジアン(IUことイ・ジウン)に出会い、彼女の境遇に寄り添うことで自身も再生していく。是枝裕和監督は、このドラマでのイ・ジウンを評価し最新作『ベイビー・ブローカー』にキャスティングしている。

 『私の解放日誌』におけるジアンはク氏で、ドンフンはミジョンだ。元彼に裏切られ、上司や同僚からは軽く扱われ、自己肯定感が極限まで下がったミジョンは、日々目の前で黙々と食事をしている謎だらけの男に、「わたしをあがめて」と命令する。あがめる、崇める、崇拝する。英語ではworshipと訳され、神聖なものをただ認め、敬うことを表す。同時に、ミジョンは勤務先の会社の「幸福支援センター」による強制的同好会活動推進の目を逸らすため、同じ気分を抱えた同僚たちと「解放クラブ」を結成し、解放日誌をつけ始める。

 アルコール中毒で、過去の仕事によるトラウマを抱えるク氏にとって、ミジョンをあがめる行為は、ただ労働し摂食し、それ以外の時間は酒に溺れる生活から“解放”される一歩となる。ミジョンは最終話で、「誰かの最低さを証明する存在として自分を立たせていたから自分には力がなかった」と告白する。あがめる関係を自分の意思で始めたことにより、ク氏が姿を消した期間にも逆に「同じ人間としてただ応援する」境地にたどり着いたという。

 姉のギジョンは己を顧みず「ハズレを引きたくない」と男たちを値踏みしているから、恋人ができない。酔った席で「子どもを一番に思うシングルファーザーは、最も大切なものが一致しないから論外」と暴言を吐くが、その言葉を裏切るような相手と見返りのない恋に落ちる。兄のチャンヒは、店長の愚痴聞き係のコンビニ運営本社の営業職から、自身に備わる不思議な運を活かした仕事を目指すようになる。ヨム家の両親、人生計画というこの世代の男性が背負う価値観に囚われた父親、仕事と家事に追われ、いつも眉間に皺を寄せる母親にも、それぞれの“解放”が訪れる。財閥の人間でも得られない(お金では買えない)ような解放を遂げる母親。皮肉だが、おそらく究極の解放の姿だ。

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