『犬王』に詰まった人間が進化するエネルギーの片鱗 湯浅政明の無限の想像力を垣間見る
映画ではこの場面よりも前の部分で、当時の日本人の生業と技能――農業、建築、その他の小商いなどがつぶさに描かれている。600年前にも人々は現代に残る様々な技術を身に着け、求めるものに応じてその技を発展させてきたことが分かる描写だ。これらの点描は、犬王一派が自分たちの表現のために技術をどんどん更新・拡大していく過程の秘かな伏線ともなっている。映画の前半、友一と師匠・谷一が所望する京都のあぶり餅もまた、単なる時代背景のディテールではなく、ものを美味しく食べるという人間の創意工夫の産物と見れば、小さな伏線のひとつとなる。
圧巻のステージシーンの数々は、言い換えればかつて『AKIRA』(1988年)でも言及された、人間が進化するエネルギーの片鱗なのかもしれない。だが、その進化のエネルギーが時の権力によって「なかったこと」にされた過去もあったのではないか……『犬王』はそんな悲劇を空想した物語でもある。それは単に過去の教訓として済ませられる話でもない。昨今、犬王や友一と同じ不安を覚えない表現者など皆無だろうし、芸術に限ったことでもない。生物としての人類の進化を、ほかでもない人類自身が金儲けや支配欲のためにぶち壊している事象は、今まさに世界中で起きていることだ。
そんなふうに、思わず世界と人との関わりにまで思いを馳せてしまう作品になっているのは、湯浅監督の作風のなせる業だろう。初長編『マインド・ゲーム』(2004年)以来、どの作品を観ても、そこには監督自身の「見ている世界」――人間観、死生観、世界観などが投影されているように思える。作家性の強い映画ばかり見慣れている人にとっては「それって普通じゃない?」と思うかもしれないが、これがなかなか難しい。原作準拠が何より優先されたり、商業性の担保や分業制といった条件のおかげで、なかなか監督が個性を出しにくい面のある日本のアニメ業界では特に。
『犬王』も最初から湯浅監督の作家性ありきで立てられた企画とはいえ、やはりこれだけ自分の色に物語を染め上げていることに感嘆する。それが湯浅監督にとって「普通に物を作る」姿勢であり続けていることが、ファンとしては頼もしく、今後もその環境が守られ続けてほしいと切に願う。友を喪い、輝きを失った目で型通りの物語を舞い続ける天才能楽師の悲哀は、湯浅政明には相応しくない。
■公開情報
『犬王』
全国公開中
声の出演:アヴちゃん(女王蜂)、森山未來、柄本佑、津田健次郎、松重豊、片山九郎右衛門、谷本健吾、坂口貴信、川口晃平(能楽師)、石田剛太、中川晴樹、本多力、酒井善史、土佐和成(ヨーロッパ企画)
原作:『平家物語 犬王の巻』古川日出男(河出書房新社刊)
監督:湯浅政明
脚本:野木亜紀子
キャラクター原案:松本大洋
音楽:大友良英
総作画監督:亀田祥倫、中野悟史
キャラクター設計:伊東伸高
アニメーション制作:サイエンスSARU
配給:アニプレックス、アスミック・エース
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