劇場版公開を機に紐解く『輪るピングドラム』 より暗くなってゆく時代へのアンサーとは

実際の重大事件を扱うという、タブーへの挑戦

 「前編」では、晶馬たちが生まれながら、“ある呪い”に縛られていることが描かれる。晶馬が夥しく表示される「95」のマークとともに語るのは、高倉家の両親が、カルト教団による16年前のテロ事件に加担していたという、衝撃の事実だ。この架空の事件は、日本で実際に起こったある重大事件をモデルにしていると考えられる。

 この事件をフィクション作品で扱うことは、多くのケースで敬遠されてきた。なぜなら、多数の死者や、後遺症に苦しみ続ける被害者を生み出した実際の出来事を、娯楽作品の題材にすることは不謹慎だと批判を受けるリスクがあるからだ。それだけに、この事件が象徴する問題が、創作物を通すかたちでは、あまり考えられてこなかったのである。アニメーション作品であればなおさらだ。

 とはいえ、この事件が日本社会において非常に重要なものであることは間違いない。そればかりか、この問題が一部でタブーとなっていたことが、2022年現在、日本で同じような状況が繰り返されてしまっているように感じるのである。

 事件後、なぜ高学歴者が荒唐無稽な主張をするカルト宗教の信者となり、凶悪な犯行に及んでしまったのかが、メディアのトピックとなることが多かった。信者たちがそこまで入れ込んでしまった理由の共通点は、“現実社会に対する絶望と逃避願望”であるだろう。それを喚起したのが、バブル崩壊後に蔓延していた社会不安だったと考えられる。日本では事件のあった1995年当時の就職氷河期や、その時代を境にした、低所得者層、中間層の賃金の下落傾向と歩調を合わせるように、自殺率が急増していく。そんな、若者たちが未来を“すり潰される”状況が一向に改善されないまま、現在に至るのだ。

 社会の保守化や国民の経済格差が深刻化していくなかで、SNSで近年「親ガチャ」という言葉が流行した。これは、裕福な家庭に生まれたり、権力者との繋がりが存在しなければ、好条件での進学や就職が難しくなってきたという、社会の政治、経済に「ネポティズム(縁故主義)」がはびこった世相の反映として、象徴的であるといえよう。

 経済的な中間層にとどまることや、結婚、恋愛すら難しくなりつつある日本社会における、かつては平凡な生活だととらえられていた、個人のささやかな幸福の達成は、年々困難なものになり続けている。そんな幸福が遠いものとなった社会で、ヘイトクライムの増加や、インターネットによる流言、陰謀論の蔓延などが、より大きな問題となってきているのである。それはまさに、1995年の状況が、さらに大きなスケールで、もう一度起こっているといえないだろうか。新興宗教に入信せずとも、いまでは極端な思考やデマが、われわれのすぐ手の届く範囲にいつでも転がっているのだ。その意味で、われわれはもう一度、あの事件を考え直さなければならないのではないか。

悲劇の子どもたちと、喪失の時代にある若者たち

 事件当時、凶行に及んだ信者たちは、悪に染まったというより、自分たちの幸福を希求することで、新たな考え方にすがったという方が、実情に近いだろう。幸福を求める宗教的、哲学的な努力という一点においては、宮沢賢治が『銀河鉄道の夜』を通して考えた、「ほんとうのさいわい」へ至るための努力と同じことではないのか。しかし、そのやり方が反社会的で、倫理的にも論理的にも間違ったものであったことで、多くの被害者が生まれ、運悪く信者の子どもとして生まれてしまった人々が苦しむような理不尽な状況が生まれたのである。

 晶馬たちが同年同日、つまり事件の当日に生まれたという設定は、何の責任もないにもかかわらず、生まれながら親の重大な罪を背負わざるを得なかった理不尽な運命を強調するためだろう。偏見にさらされず順調に成長していけばアイドルになる夢を叶えられるはずだった陽毬の未来が絶たれたのも、象徴的な描写である。そして、この「スカ」を引いた感覚や、見放されたような思いは、1995年以降に日本で若者だった世代が共通して持っているものなのではないか。

 そう考えると、作中における「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」という、プリクリの高飛車な宣言は、時代の負債を背負わされてしまったことで、豊かな生活からは見放され、ただ日々を繋いでいく「生存戦略」に忙殺されることで未来が閉ざされていく若者たちの目線に立った、ある意味逆説的な励ましであり、理解の言葉であるように思われる。

 本作『劇場版 RE:cycle of the PENGUINDRUM [前編]君の列車は生存戦略』に挿入されている、荻窪の風景の実写映像にアニメーションを加えた新作カットは、異様な存在感をもって迫ってくる。それは、2011年当時に描かれた同様の感覚が、2022年になって、さらに深刻化してしまったという背景があるからである。特にTVシリーズを観ていた時期に青春を送っていた世代は、深刻化を続ける社会の現実に向き合ってきた10年を過ごしてきたことで、この物語が、まさに自分を描いたものだと感じるのではないか。

 『輪るピングドラム』と同時代を共有したヒット漫画である『進撃の巨人』や『鬼滅の刃』、そして『輪るピングドラム』に影響を受けてオマージュを捧げたと見られる扉絵を描いた『チェンソーマン』などに類似しているのは、生まれながらに理不尽な試練を背負わなければならなかった若者たちの“あがき”であるといえよう。本シリーズよりはストーリーが理解しやすいといえる、これらの漫画を消費してきた若者たちは、程度の差はあれ、生まれながらにスタート地点がマイナスにあるという不満を、作中の登場人物の苦境に重ねていたと考えられる。

 村上春樹の小説が『輪るピングドラム』に登場するというのは、あの重大事件を題材に、ノンフィクションのかたちで提出した『アンダーグラウンド』を著作に持つことももちろんだ。しかし、その意図はむしろ、『ノルウェイの森』に代表されるように、複数の登場人物たちが過去の出来事によって心に深い傷を残し、身動きができなくなっている状況を、村上が群像劇として描いてきた点にこそあるのではないか。

 『輪るピングドラム』のベースにある世界観は、『銀河鉄道の夜』にあることは間違いない。だが、過去に囚われる人間たちの深刻なドラマを描いていく手法は、村上春樹作品に近いといえよう。そして、このようなアプローチで登場人物が描かれるのは、本シリーズで描かなければならない人間とは、喪失感や孤立感が前提にある若者たちであるからだ。そして、このような絶望に対抗する精神性を、幾原監督は『銀河鉄道の夜』に見出したということだ。

より暗くなってゆく時代へのアンサーとは

 ここまで考えていけば、この凄まじく複雑な本シリーズが、一般的なTVアニメの基準をはるかに凌駕した、狂気を帯びるほどの熱量が込められていることが理解できるはずである。幾原監督は、傑作といえる劇場アニメーション『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』(1999年)の後、監督業から10年以上離脱している。その間に考えてきたさまざまな思考が、『輪るピングドラム』に投入されていると考えれば、その内容の異様さに説明がつく。

 じつは、劇場アニメーション『銀河鉄道の夜』で大きく評価された杉井ギサブロー監督も、そこにたどり着くまでに10年ほど放浪の旅に出るといった経験をしている。人気監督でありながら、彼は一度製作から離れ、人生を考える時間を持ったことで、これまでの限界を超えて深みのある作品を完成させることができたのだ。そう考えると、『少女革命ウテナ』で創造性を爆発させた幾原監督が、10年ほどの期間を過ごした後に、自分なりの『銀河鉄道の夜』を勝負作に選んだのも理解できる。

 そして、作中に異物として配置されている、謎の異物が、ARBである。80年代を中心に活動したARBは、当時のトレンドとしては、すでにズレていたといえる、“社会への反抗”の熱気や、労働者の立場から社会の状況を歌っていたロックバンドだ。『少女革命ウテナ』で、寺山修司とともに「演劇実験室・天井桟敷」で活動していた、J・A・シーザーに新たな音楽を作曲させるなど、凡百のアニメーション作家には期待するべくもないような文化的視野を持っている幾原監督は、ここではARBに代表される、“時代に抗う愚直な姿勢”に感化されているように感じられる。

 そもそも、日本における創作や表現活動は、特に近年、社会問題を扱うこと自体を、リスクとして忌避する傾向にある。だが、そんな“常識”こそが、人々の社会問題への関心を遠ざけ、放置されてきたからこそ、事態の悪化に対処する力や想像力を、人々は失ってしまったのではないか。その意味では、宮沢賢治やARBのような“反時代的アプローチ”こそが、逆説的に、より現代的だといえる部分があるということになる。

 このように、過去の時代の思想を「リサイクル」することが、むしろ現代を生き抜く希望に映る場合がある。そう考えれば、本作『劇場版 RE:cycle of the PENGUINDRUM [前編]君の列車は生存戦略』もまた、10年前のTVシリーズからの素材を利用することで、それ自体が現代を新たに照射する「リサイクル」であり、「生存戦略」を続けなければならない時代を照らす光であろうとする作品だといえるのだ。

 さて、現代のアンサーになり得る、『輪るピングドラム』の結論部分は、本作の次作となる「後編」公開時に書くとして、10年経ったなりの新たな結末や要素が、果たして次作で用意されるのかどうかが、独立した映画作品としての大きな焦点となるだろう。そう思ってしまうのは、『少女革命ウテナ』の劇場版作品の内容が、TVシリーズのやり直しであったにもかかわらず、時代を打ち破っていくような衝撃的で痛快な結末を用意したという事実にもある。『輪るピングドラム』のテーマが現代社会に通じるものであることは認めつつも、より新たな時代に対応した“何か”を、幾原監督には期待したいのである。

■公開情報
『劇場版 RE:cycle of the PENGUINDRUM [前編]君の列車は生存戦略』
全国公開中
声の出演:木村昴、木村良平、荒川美穂、三宅麻理恵、石田彰ほか
監督:幾原邦彦
副監督:武内宣之
原作:イクニチャウダー
脚本:幾原邦彦、伊神貴世
配給:ムービック
(c)2021 イクニチャウダー/ピングローブユニオン

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