『ちむどんどん』から“なんだかんだ”目が離せない理由 挑戦的な賢秀のキャラクター造形

『ちむどんどん』挑戦的な賢秀の人物造形

 『万引き家族』は文字通り万引きをして生活している家族の物語で、『パラサイト』はお金持ちの家庭に素性を偽って家族総出で出入りしたことがのちにとんでもない事態に発展する。特に『パラサイト』は予測不能のエンタメになっているが『万引き家族』と同様、そうしなくては生きられない人がいるという社会問題が根底にある。

 朝ドラにも視聴者の鏡としての役割があり、つねに何かしら社会問題を取り入れてきた。たとえば『ひよっこ』(NHK総合)では脚本家の岡田惠和が高度成長期の光だけでなく影も描きたいと言っていた。ヒロインみね子(有村架純)の父(沢村一樹)は東京に出稼ぎに行き、暴漢にあって記憶喪失になって助けてもらった女性のもとに身を寄せる。妻やみね子たちにしたら衝撃的な事実だが、記憶喪失という理由があって致し方ない。そこに朝ドラだからという気遣いを感じる。このようにこれまでは、誰かがいけないことをしていると必ず相対化したりやむやまれぬ事情であることにしたり、何かしら配慮がされていたのだ。

 それが『ちむどんどん』では賢秀の行動の良し悪しをジャッジすることなく、ただそういう人物であるとして描く。そこには挑戦があるような気がする。画期的であるし、時代に即しているともいえるのではないだろうか。ヒロイン暢子もオーナー・大城房子(原田美枝子)に対する態度が不躾だったり、厨房に入るのに髪の毛を束ねなかったりして、それを咎めるのもやっぱり視聴者である。

 2時間ほどで終わり作り手の意図をまとめやすい映画に対して、連続ドラマーーそれも半年続くドラマで主要人物が何度も非常識な行為を繰り返しながら放置されている様を描き続けるために『ちむどんどん』が用いているのは喜劇仕立てであろう。

 イタリアの古典的喜劇コメディア・デラルテのように、明快な類型的なキャラーー善人、悪人、トラブルメーカー、お姫様的人物、お金持ち……などがいて、お約束のドタバタを繰り広げていく形式で見せることで深刻さを回避しようとしているように感じる。

 とりわけ第7週でその傾向を強く感じたのは、アッラ・フォンターナの外観が舞台の書き割りみたいな感じだったこと、良子と博夫の結婚騒動が一段落したとき賢秀がしめしめという顔で家を出ていくところなどが演劇的であったこと。舞台を下りて客席通路を通ってはけていくような姿は、まるで演劇を観ているようにも見えた。それから、ところどころにオペラ調の曲(歌詞の言語は架空のものになっている)が使用されていることなどがある。

 賢秀もビッグ・ビジネスに臨もうとしているようで、どこかで変革するのか、ずっとこのままなのかどちらなのだろう。いらいらしながらもいつの間にか彼が気になって仕方ない。

 第8週以降、舞台も変わり、新たな登場人物が加わっていく。『ちむどんどん』がどこに向かっているかわからない。ドラマも賢秀も暢子もなんだかんだ言いながら目が離せないのは確かである。

参照

※ https://news.yahoo.co.jp/byline/kimatafuyu/20220311-00285756

※高嶋政伸の「高」はハシゴダカが正式表記。

■放送情報
連続テレビ小説『ちむどんどん』
総合:午前8:00〜8:15、(再放送)12:45〜13:00
BSプレミアム・BS4K:7:30〜7:45、(再放送)11:00 〜11:15
※土曜は1週間を振り返り
主演:黒島結菜
作:羽原大介
語り:ジョン・カビラ
沖縄ことば指導:藤木勇人
フードコーディネート:吉岡秀治、吉岡知子
制作統括:小林大児、藤並英樹
プロデューサー:松田恭典
展開プロデューサー:川口俊介
演出:木村隆文、松園武大、中野亮平ほか
写真提供=NHK

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