『私ときどきレッサーパンダ』で広がる理解の輪 “いい子”を目指したすべての女の子の物語

いつだって“レッサーパンダ”は顔を出す

ときどきレッサーパンダが顔を出すあなたも、きっと愛されるはず

 親に言えない秘密を抱え、過干渉な母親に辟易とした過去もあり、そのエピソードをこの作品に詰め込んだと語っているドミー・シー監督。きっと本編でメイがそうしていたように枕に顔をうずめて「うあああああ!」と獣のように吠えた日もあったことだろう。

 そんな葛藤する姿も実はチャーミングな部分なのだと、かわいらしいレッサーパンダにしてくれたのではないだろうか。自分の中にある吠えずにはいられない獣的な部分も「私の一部」であり愛することができるはずだと、ふわっと抱きしめてくれているかのようだ。

 そして同時に思うのは、レッサーパンダ化は思春期の女の子だけのものではないということ。何歳になっても、親は子に期待し、子は親の期待に応えたいと思う。だが、もちろん全てその通りにはいかない。

 成人して働くようになっても、その生活ぶりに対して何かと心配してくる。それなりの年頃になれば、恋愛や結婚について「どうなってるの?」と言わずにいられない。さらに子どもが生まれれば、その子育てについて口を挟んでくる話もよく耳にする。

 いくつになっても、親にとって「いい子」であってほしいというのは変わらない。それは本質的には、親なりの「幸せ」になってほしいという願いなのだが、その伝え方によっては価値観の押しつけや苦しいプレッシャーとなってしまうのが、親子の悲しいすれ違いだ。

 そして、更新され続ける「いい子」「いい娘」「いい嫁」「いい母親」……の期待に応えられないストレスから、いつだってレッサーパンダは顔を出す。だから、この作品では思春期を終えた母親の中にも、祖母の中にも、レッサーパンダがいるのではないだろうか。

 もちろん世の中には、生理中であることなんて周囲に微塵も感じさせないようなアクティブな女性がいるように、自分の中にいるレッサーパンダをしっかりと封印できている人もいる。一方で、ホルモンバランスの変化によって時折、自分でも手のつけようがなくガルガルしてしまうと悩んでいる人も。

 この作品で最も胸が熱くなったのは、後半で登場した凶暴な超巨大レッサーパンダを前にしても、みんなが逃げだしたり否定したりせずに向き合おうとしたところだ。同じレッサーパンダになりうる女性も、そしてレッサーパンダになってしまう女性と共に生きる男性たちも。その光景に、周囲の理解さえあれば、レッサーパンダになることそのものも、その人の個性としてみんなで見守っていくこともできるのではないかという希望を感じることもできた。

 きっと生理をはじめとした女性特有の心身の変化が多く語られるようになった現代だからこそ、描くことができた作品なのだろうとつくづく感じた本作。“レッサーパンダな自分”を、タブー視して封じ込める時代は通り過ぎようとしているのかもしれない。どうかこの作品を多くの人が鑑賞することで、そんな理解の輪が広がりますように。そして、あなたの中にも、あの人の中にも、ときどき出てくるであろうレッサーパンダとも仲良くできる世界になりますように。

参照

https://www.cinemacafe.net/article/2022/03/12/77779.html?pickup_list_click1=true

■配信情報
『私ときどきレッサーパンダ』
ディズニープラスにて独占配信中
監督:ドミー・シー
製作:リンジー・コリンズ
日本版声優:佐竹桃華、木村佳乃ほか
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
(c)2022 Disney/Pixar. All Rights Reserved.

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