『名探偵コナン』でしかできない離れ業 “渋谷映画”となった『ハロウィンの花嫁』
今年の劇場版『名探偵コナン』のタイトルは『ハロウィンの花嫁』と、これまでの作品群のなかでもかなりピンポイントな季節性を有している。もちろんそこには“11月6日に何があったのか”という、他のエピソードから運ばれてきたストーリー上の点が存在しているからに他ならない。先日行われた本作の完成披露上映の舞台挨拶で高山みなみが語っていた通り、この『名探偵コナン』の世界線ではまだコナンが小さくなってから1年も経っていないとなれば、こうした季節感は作劇における設定以外の意味をなさず、劇場版公開の4月からみればまるまる正反対の時期が描写されることの違和を容易に吹き飛ばしてくれるのである。
3作前の『名探偵コナン ゼロの執行人』で、極めて人気の高い安室透こと降谷零にフォーカスを当てた物語が展開し興行収入が大きく跳ね上がったことは、少なからずこの劇場版シリーズの近年の方向性(=キャラクター寄せ)を生み出す決定打となったことだろう。今回の劇場版ではその降谷の警察学校時代の同期、通称:警察学校組をフィーチャーしつつ、またその1人である松田陣平に想いを寄せていた佐藤美和子と、その恋人である高木渉にもスポットライトが当たる。国民的人気を得れば得るほどニュートラルで万人受けの方向に舵を切る作品が多いなかで、あえてこの『名探偵コナン』は原作ファンへのアプローチでそれ以外の視聴層も取り込んでいく。このある種の原理主義的な作りはなかなか興味深くあり、シリーズ人気を衰えさせない策としては盤石にも思えるほどだ。
冒頭の段落で述べた通り、『名探偵コナン』の世界線(あえてアニメだけに絞っても26年が経つ)で描かれる事象はわずか1年足らずの出来事。一部で言われる米花町=日本のゴッサムシティ説も納得できてしまうわけだが、その前提をもってしても今回の劇場版では“時間経過”の部分に強く意識が向いてしまうことは避けられない。描かれている物語と明確なつながりを持つのがテレビアニメ版第304話「揺れる警視庁 1200万人の人質」というテレビスペシャル。この初放送は2003年1月と、実世界ではかれこれ19年の月日が流れているのである。
それにもかかわらず、『ハロウィンの花嫁』では松田の殉職が3年前、同じく“警察学校組”の仲間である爆弾処理班の萩原研二の殉職が7年前という具体的な時間感覚を動かすことなく描写していく。ちなみに第304話は正月明けの時期が舞台。考えようによっては劇場版がその10カ月先と繋げることは一応可能ではあるが、それにしてもかなりチャレンジングだ。しかもその劇中で回想シーンとして描かれた佐藤と松田の車中でのやり取りがそのまま劇場版でも焼き直されているから尚更である(その際に松田が持っていた携帯電話が今回スマートフォンに変更されている。おかげで冒頭シーンで蘭がまだガラケーを使っているのが目立つことになるわけだが)。