ウィル・スミスとクリス・ロックの「オスカー平手打ち事件」 経緯と処罰を時系列で検証

「オスカー平手打ち事件」の経緯と処罰を検証

事件を検証する4つの視点

(1)ウィル・スミス

ウィル・スミス
ウィル・スミス (c)Richard Harbaugh / A.M.P.A.S.

 自身のSNSにて「いかなる暴力も有害で、破壊的である。昨夜のアカデミー賞での私の行動は、受け入れ難く、許容されるものでもない。私を笑いものにすることは仕事の一部だが、ジェイダの病状に関するジョークには耐えきれず、感情的に反応してしまった」と公式に謝罪している。ハリウッドでも良識を得た善人という印象があるスミスのイメージは地に落ち、事件から1時間後に受賞した初の主演男優賞は汚されてしまった。個人の病状を揶揄したジョークが許容範囲を超えていることは誰の目にも明らかだ。だが、咄嗟の反応として、しかも生放送の式典の最中に暴力と暴言が出てしまうのは、表舞台に立つ者として欠陥があると考えざるを得ない。

(2)クリス・ロック

クリス・ロック
クリス・ロック (c)Al Seib / A.M.P.A.S.

 この日クリス・ロックが標的にした妻ジェイダのヘアスタイルは、脱毛症を患っているからだった。スミス夫妻と面識のあるロックだが、病気については知らず、授賞式の構成台本にないジョークをアドリブで披露したと言われている。2016年の第88回アカデミー賞で司会を務めたロックは、アジア系アメリカ人を揶揄したジョークがひんしゅくを買った歴史がある。その彼をプレゼンターに引っ張り出したのは授賞式のプロデューサー陣であり、彼の持ち味であるキツいジョークをいくつか披露することは想定内だっただろう。病状を笑いにしたことについてはいまだに公式のお咎めも、ジェイダに向けた謝罪もない。AMPASの判断は、授賞式で起きた平手打ち事件について放送倫理に基づき断罪しているのであって、ジョークの是非について制裁を下す立場にないからだ。ロックは本件についてコメントしていないが、実弟で俳優のケニー・ロックはスミスの謝罪文について「誠意が感じられない」と答えている。妻を揶揄された夫が殴った男の弟が反論する、事態は泥沼である。

(3)アカデミー賞授賞式とAMPAS

 AMPAS理事会の対応と判断は、授賞式の内容を正当化し、責任の所在をウィル・スミスの行動だけに留めるものだ。今年の授賞式は3年ぶりに司会を復活させ、「映画ファン大集合(Movie Lovers Unite)」をテーマに製作された。ところが、際どいジョークが売り物のコメディエンヌ3人による司会は、授賞式冒頭から映画や映画作家、俳優たちを冒涜するようなジョークを乱発していた。その中には、Mr&Mrs.スミスの結婚観に関するものもあった。AMPAS理事会の判断は、映画を祝う場において何が適切で何が不適切かではなく、授賞式を継続すること、すなわち1976年からテレビ放送権を持ち、2028年まで契約期間が残るABCの意思に則したものだと思われる。ABCが起用した総合プロデューサーのウィル・パッカーとクリス・ロック、そのほか授賞式の批評にあった不適切なジョークについては問題視していない。だが、今年の米国内視聴者数は1660万人で、昨年度の歴史的低迷から58%上昇したものの、歴代2番目に低い視聴者数だ。つまり、アカデミー賞の存続は放送権料を支払う財政支援源のABC(もしくは放送局)の意向にかかっていて、生放送中に暴力を働き暴言を吐いたウィル・スミスに対し、放送倫理に則り処罰を決定したのだと理解できる。これは、昨年5月にゴールデングローブ賞を主催するハリウッド外国人記者協会の不祥事が明るみに出た際に、放送権を持つNBCが放送中止を決め、同団体が窮地に陥った事例を倣い危機管理体制が取られたのだろう。ちなみに、今年の授賞式の模様は、事前番組のレッドカーペット中継から式典の模様まで、ABCの親会社であるディズニー傘下のストリーミングサービス、Huluにて配信されている。

ウィル・スミス
ウィル・スミス (c)Blaine Ohigashi / A.M.P.A.S.

 さらに、平手打ち事件のあと彼を会場に留まらせたのは「受賞秒読み」の段階だったことで、観客も視聴者も同様にその時を待っていた。涙の受賞スピーチの後には会場がスタンディング・オベーションで応え、あたかも“赦し”を得たような雰囲気が醸成されていた。スミス一人に課せられた処罰は、暴力や暴言が、偉業と涙によって帳消しにされてしまう、このグロテスクな展開が“有効”になってしまうことを危惧したAMPASとABCの判断なのではないか。

(4)映画業界の反応

 ウィル・スミスがアカデミー会員を辞退した翌日の4月2日、Netflixがスミスの次回作として企画開発していた『Fast and Loose(原題)』の制作中止が報道された。(*3)スミス主演の待機作では、Apple TV+の『Emancipation(原題)』がポストプロダクション中だが配信日程は未発表。ソニー・ピクチャーズで開発中の『バッド・ボーイズ』第4作は40ページほどの脚本がスミスの手に渡っているとされるが、制作は頓挫しているという。これらの映画業界の反応は、スミスの前途が多難であることを示す。アカデミー会員資格を失ってもアカデミー賞にノミネートされることは可能だが、たとえ再度ノミネートされることがあっても、今後10年間は授賞式会場に足を踏み入れることはできない。つまりは、いくら権威を失いかけているとはいえ、映画製作の目標にオスカー像は君臨し続け、ケーブルテレビの視聴者数が激減し誰もが受賞結果をSNSで知る昨今においても、テレビ放送は不動の意思決定要因であるということを明示した。

 AMPASの懲戒発表声明にあるように、第94回アカデミー賞には、いくつもの素晴らしい受賞結果と受賞スピーチがあった。それらの偉業や劇的な瞬間は、2人の大人のケンカによって掻き消されてしまった。そして、AMPASは2025年開催の第96回より、性別・人種・性的嗜好・障がいなど、社会的にマイノリティと位置付けられている人々やテーマを取り込んだ作品に作品賞ノミネート資格を与えると発表している。アカデミー賞への批判の元となった排他的な会員構成やノミネーションを是正するために、世界各国から会員を増やし、インクルージョンとダイバーシティを打ち出している。その矢先に行われた授賞式での、見た目や性別、婚姻スタイルについてのジョークが乱立する番組内容については審議していない。この事件は、映画業界とアカデミー賞を含む賞レースのあり方を決定的に変えてしまうきっかけになるような気がしてならない。

参照

※1. https://www.latimes.com/entertainment-arts/movies/story/2022-04-07/will-smith-oscars-slap-timeline-chris-rock
※2. https://nypost.com/2022/03/28/will-smith-dances-to-his-own-songs-at-2022-vanity-fair-oscars-party/
※3. https://www.hollywoodreporter.com/movies/movie-news/will-smith-netflix-movie-1235123901-1235123901/

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