『カムカムエヴリバディ』がオーソドックスな“生き別れの母探しの物語”にならなかった理由
謝ることができるにも、許すことができるにも、もつれた糸を解くにも、気の遠くなるような時間が必要になることはある。自分自身が諦めたもつれた糸を、時を経て、子や孫が解いてくれることもある。
例えば、るいが母を忘れようとする一方で、治療を断固拒否し、厚くおろした前髪の下に母の思い出と共にしまい続けた額の傷を受け入れてくれたのは錠一郎(オダギリジョー)だった。さらに、「旗本退屈男みたいで、かっこええ」という言葉により、コンプレックスから解放してくれたのが、ひなただ。
やがて前髪を短く切ったるいのベリーショート姿を見るだけで、まるで親心のように涙が出てきた視聴者は多かったろう。かつて人に対して壁を作りがちだったるい。しかし、大阪での数々の出会いを経て、京都で回転焼き屋を営む生活の中で、気づけば鼻歌を歌いながら仕事をしたり、「あかにし」で親しげにボディタッチで軽く小突きながら5000円値切ったり、ひなたに英語を勉強すれば良いとポンポン肩を叩きながら勧めたりする“関西のおばちゃん”的コミュニケーションを身につけている。そんな時間の流れと共に見られる変化にも、胸が熱くなる。
人生を積み重ねていると、幾度となく既視感に襲われることがある。似たようなことを言う人、やる人、似た雰囲気の人や、似たような出来事など。赤螺家、モモケン親子(尾上菊之助)、定一・健一・慎一(世良公則/前野朋哉)は、まさに血のなせるデジャブ的な既視感の存在だった。
さらに、ひなたの姿を見た安子が「若い頃の自分を思い出す」と感じたり、仕事で少し接点を持っただけのアニー(安子)に、ひなたが母・るいにすら話せなかった五十嵐(本郷奏多)との再会を話したり。そうした不思議な感覚が生まれるのも、人生を積み重ねる中で得られる嬉しい結びつきだろう。
時間は巻き戻しできず、言ったこと、やったことは取り消すことができず、元通りにはならない。しかし、生き続けていれば、思いもよらない場所に流れ着くこともあるし、ひなたの道を探していれば、いつか必ず暗闇から出られる。
災害の多い日本で、まだ東北の復興すら進んでいない中、世界的にコロナ禍に突入。にもかかわらず、世界では戦争が今まさに行われている状況下で、暗闇から抜け出す術が見出せないと感じている人も多いのではないか。
しかし、こんな時代だからこそ、伴虚無蔵(松重豊)の言葉が響く。
「どこで何をして生きようと、お前が鍛錬し、培い、身につけたものはお前のもの。決して奪われることのないもの」
わかりやすい答えをすぐに求めてしまう現代において、自戒も込めて、『カムカムエヴリバディ』の不可逆の長い長い時間の中で繰り返された鍛錬の数々、そこから生み出された奇跡の数々を改めて噛み締めてみたい。
■配信情報
NHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』
NHKオンデマンドにて配信中
出演:上白石萌音、深津絵里、川栄李奈ほか
脚本:藤本有紀
制作統括:堀之内礼二郎、櫻井賢
音楽:金子隆博
主題歌:AI「アルデバラン」
プロデューサー:葛西勇也・橋本果奈
演出:安達もじり、橋爪紳一朗、松岡一史、深川貴志、松岡一史、二見大輔、泉並敬眞ほか
写真提供=NHK